堺事件のこと


この「とさのさむらいはらきりのはか」は慶応4年2月15日、堺港の警備に当っていた土佐藩士が大阪港の測量中に堺へ上陸したフランス軍の水兵に発砲し、土佐藩士がフランス兵を10数名殺傷、フランスからの要求を受けて11人が妙國寺で切腹した事件に因みます。いろんな作家が小説に書いてるそうですが、僕は平田弘史のマンガで知りました。

土佐藩士たちが葬られた宝珠院は現在、幼稚園になっていて、残念ながら入ることはできませんでした。
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ポケモンGOはニュースで見る程度しか知らないんですが、聞くところによると卵を孵化させるのに移動距離を5kmとか10km稼がないといけないそうで。
そのうち「あなたのポケモンの卵孵します」詐欺が流行ったりして、とか思ってたんですが。
ちょっと検索してみたら、ルンバとかプラレールとか猫に乗せて自動孵化装置、みたいな記事が山ほど出てきて笑った…。
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蘇民将来さん危うし…とその時

ババーン!!スサノオ印の茅の輪飾り!

(これです。質素ながらもスサノオ様をもてなした御礼にと貰ったやつ。)

疫病神も一発で撃退、スサノオ様の御神徳は効果てきめん!
この後、実際に会場で茅の輪飾りを売り出してました。ええ、実家用に買いましたとも。
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しまいには座敷の外にまで追い回されて…

のしかかられて…巨旦将来さん、死亡

疫病神「次はお前だー」
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こちらは「茅の輪」のスサノオさん。
山陰地方で初めて神楽を観た時も印象に残ったのがこの演目で、結構好きなんです。蘇民将来と巨旦将来の話。

疫病神が登場。地域によってはスサノオが巨旦将来を滅ぼしてしまう話もあるみたいですが、出雲神楽では疫病神がやっちゃいます。

巨旦将来「こっちくんな」
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先々週に観た、雲南市須賀の夜神楽大会の写真をようやく上げられました。
大会といってもホールとか体育館じゃなくて、昔ながらの座敷で行う風習に沿って建てられた民家風の「神楽の宿」という施設で、結構ライブ感が強くて面白かったです。
内容的にも石見とか芸北とはまた違った抽象的な感じの魅力がありました。

海潮中学校神楽部の「簸の川大蛇退治」(ひのかわおろちたいじ)
石見では「大蛇」と呼ばれる大蛇退治の演目ですが、出雲ではこういう名前のようです。

ストーリーは同じなんですが、こちらは大蛇役が人間っぽいです。集団で長い蛇胴を派手に使ってとぐろを…[全文を見る]
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昨日は西宮あたりを移動してたら、近所ではほとんど聞こえないニイニイゼミの声を聞きました。
近所はやたらとクマゼミが多いんですが、単にクマゼミの方が声がでかいってだけかな?
でも、セミの種類によっても木の好みはあるみたいですね。
近所の高層マンションの回りに植えてある木にクマゼミがたかってて、住んでる人ざまぁ ちょっと気の毒になりました。
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義興の活動は大永年間にも見られますが、永正17年に堺で死去したというこの説ではすでに義隆に代替わりしていて、義興の死は伏せられていたということになります。
さすがに7,8年も秘匿するのは無理があるとは思いますが、永正17年の上洛戦の真偽は確認したいですね。
義興の帰国後も大内氏が義稙との繋がりを断たず、澄元や赤松義村と結んだ義稙による反高国の動きに同調していたのであれば、細川持隆が大内義興の娘を正室に迎えた件、遣明船の利権を巡って寧波の乱で武力衝突やらかした件、義稙の没後に義隆がその肖像画を描かせた件も納得しやすいんですが。
ちなみに義稙は大永元年3月に京都出奔後、淡路で畠山卜山と共に再起を図って失敗し、翌年に卜山が死去、義稙はその翌年に後を追うように死去しました。寧波の乱が起きたのはその同じ年になります。
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讃岐の香西氏のことを軽くブログに書こうと思ったけど、手元に資料が全くないので適当に検索してたら、国立国会図書館デジタルコレクションに「南海通記」があって、思いのほか深入りすることになってしまった…。
「香西記」「香西雑記」を収録している「香川叢書」というのもありました。
「大内義興報恩堂」(大内堂)は大内寺とも呼ばれていたみたいです。南海通記、香西記のどちらにも記述がありました。
香西記
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1918223/104
>三位義興の像を造立して一宇を立、大内堂と云。又號大内寺也。
南海通記
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020201/120
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通りすがりで立ち寄った菅原神社。境内には戎神社、薬祖神社もあります。

コンパクトながら立派な造りの楼門。

どういう由来か分かりませんが、「小西行長手植えの傘松の幹」が置いてあります。朝鮮から持ち帰ったと伝えられてるみたいです。
行長の父隆佐は堺の商人で、秀吉に仕えて堺代官を務めたそうなので、行長も何かと堺に縁があったのでしょう。

天神さんなので当然、神牛の像があるんですが、大理石製というのはちょっと珍しい。
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