このキーワードにいつ書こう、今書こうとか思うことがあるんですが、気の利いたフレーズを懸命に考えて、さあHaiku!って時に他の人がすでに投稿しちゃってたら
どうしよう…しりとりと違って再利用する機会も無さそうだし…とか悪い方に考えて、つい沈黙してしまうのです。
ところで「ちんもく」と聞いて思い出すのは陳念と黙念、アニメ「一休さん」に登場する小坊主なんですが、名前は浮かぶものの顔が浮かびません。検索してみたところ、陳念が太いやつ、黙念が小さいやつのようです。
次のジャンル:坊主

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このキーワードにいつ書こう、今書こうとか思うことがあるんですが、気の利いたフレーズを懸命に考えて、さあHaiku!って時に他の人がすでに投稿しちゃってたら
どうしよう…しりとりと違って再利用する機会も無さそうだし…とか悪い方に考えて、つい沈黙してしまうのです。
ところで「ちんもく」と聞いて思い出すのは陳念と黙念、アニメ「一休さん」に登場する小坊主なんですが、名前は浮かぶものの顔が浮かびません。検索してみたところ、陳念が太いやつ、黙念が小さいやつのようです。
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丸島先生いわく、今回は中世から近世への移行過程で社会がどのように変化したのかを描く目的があったそうで。
尾藤道休がああいうキャラクターになったのも、刀狩令と喧嘩停止令の影響を伝えるためだったわけですね。
後に信繁は大坂の陣で、そういう新しい世からあぶれた連中と協同して戦うことになるわけで、信繁にああいう役回りをさせたのはその皮肉を描いたのかと感じましたが、はてさて大坂の陣での信繁のポジションはどうなるか…。
真田丸
寧さんが「昔から変わっとらん、怖い人」と言い切ってたのは、この作品での秀吉の描き方を象徴してましたね。
改めて従来の「太閤記」イメージからの脱却が宣言されたような気がして、感慨深いものがありました。
信繁を庇いながら秀吉に厳しい態度で諫言する三成の姿はハイクでも好評でしたが、丸島先生のツイートによると、三成の直諫は実際にあったことのようです。一人酒を飲むシーンで「大一大万大吉」を見せたところも印象的でした。
落首事件の顛末は詳しく知らないんですが、本願寺が匿っていた「尾藤道休」って元黄母衣衆でいわゆる羽柴四天王の尾藤甚右衛…[全文を見る]
特別展のポスターにも使われた、名古屋市博物館蔵の「築城図屏風」
実物も展示されていたんですが、結構楽しげで気に入りました。どこの城か分からないそうですが、天下普請という当時の一大公共事業の雰囲気が伝わってくる感じがします。



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同じ旧西国街道沿い、すぐ近くにある野口神社にも寄りました。


由緒略記によると、元は奈良時代に建てられた寺院(通称「野口廃寺」)で、近くには野口城があったとのこと。
近世には山王五社宮(五社大明神、五社山神宮寺)として栄え、明治の神仏分離で日吉大社より大山咋神を勧請して主祭神とし、野口神社に改称。
説明によってはここを野口城跡としているものもありますし、教信寺の方も天台宗ですから、中世にはどちらも一緒で三木合戦当時は野口城と呼ばれていたのかもしれません。(教信寺の僧兵も別所側として参戦したそうです)
当時の野口城は加古川の河口付近の湿地帯にある堅城でしたが、江戸時代にはすでに城跡は開墾されていたそうです。
明石・加古川の続き。考古博物館での講演と多少の調べ物の後、加古川へ向かい、教信寺に立ち寄ってきました。
平安時代に「賀古の教信沙弥」と呼ばれた半僧半俗のお坊さんが極貧生活を過ごしたと伝わる場所です。「南無阿弥陀仏」と唱える念仏を始めたのもこの方からなんですって。本人は死に際して、遺骸を庵の側に捨てて鳥獣に施して欲しいと言い残したそうですが、庵の跡には廟所が建てられ、更にお寺ができたという流れのようです。
で、一連の三木合戦で最初の戦場となったのが野口城なんですが、それがこの辺にあったと推定されているそうです。
たまたま通りかかった…[全文を見る]
今日の愛妻弁当、卵焼きがなんか全体的に黄色い…今朝かみさんが卵を床に落として割っていた…そこから導き出される答えは…もう考えるのを止めておこう…。