「国衆」の定義にピンとこなかった理由が丸島和洋氏の紹介記事で分かりました。
http://members3.jcom.home.ne.jp/kazu_maru/
冒頭では学術的に定義された用語のような書き方してたけど、実際には研究者間でも用語の統一が取れてなくて、執筆者間でも線引きに差異があるみたいです。
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国衆に近い権力でも戦国大名と扱って立項していない場合があります。その場合は、各地域の総論で触れることにしています。私の担当する「甲信」でいうと、村上氏がそれに該当します。逆に肥前では、国衆の数が多くなることに眼をつぶってもらって、国衆から戦国大名化した龍造寺氏…[全文を見る]
どうも冒頭から「国人ではなく国衆だ!国衆の研究は我々東日本の研究者がリードしてきた!」みたいなノリで、担当者も東に偏ってるせいか西国は専門外の方が書いてる感じでその辺が…ウーン…。あくまで興味を持つ取っ掛かりという趣旨なんでしょうけど。
大石泰史編『全国国衆ガイド』戦国の”地元の殿様”たち

再版されそうな気もするけどとりあえず店頭から無くなる前に買えてよかった。
浜口誠至氏が畿内地域担当。近江は島田哲氏、大和宇陀郡のみ小川雄氏。(この人は色々なところでピンポイントで書いてる)
摂津は瓦林、芥川、茨木、三宅、鳥養、池田、吹田、能勢、伊丹、有馬、塩川。
播磨は上月、別所、小寺、依藤、宇野、龍野赤松。少なくね?
「古市播磨」という人物も気になります。古市播磨というと村田珠光の弟子とされる古市澄胤が有名ですが、その後裔でしょうか。
Wikipediaには義昭の子・義尋の室が古市胤子でその父は「播磨守古市胤栄とされるが、胤栄は1505年に死んでいるため、年代が全く合わない」とあるけど、年代的にはこちらの古市播磨のような…。
それにしても何故古市氏出身の娘がそこまでの扱いを受けてるのかもよく分かりません。松永久秀との関係は影響したのかどうか。
【知らんがな】僕は紙の本一択です。画面を指でツイッとさするような端末なんて一つも持ってないので!!!
「戦国遺文 三好氏編 2巻」を読んで、追記した妄想が大体ただの妄想だったことを確認できた感じ(笑)
5月26日梅仙軒霊超が河野左京大夫に宛てた永禄の変を報告する書状には「去年冬志野原堺津へ罷上、阿州公方御入洛調段」とありました。まじか。
あと、8月5日義俊が上杉弾正少弼に宛てた書状には「一乗院殿南都御座所儀、居御番候而、松永堅雖申付候、朝倉左衛門督令直談、種々廻調略、去月廿八日、至甲賀和田城被引退候」とあり。丹波で荻野直正が内藤宗勝を討ち取ったことにも触れていました。「一国平均ニ成申候」と。
ざっと読んで感じたのは、松永久秀が失脚するまで…[全文を見る]
昨日は思い付きで鷹尾城跡に登って、その後尼崎の中央図書館に行ったんですが、調査室の蔵書がすこぶる良くてびっくりしました。群書類従、続群書類従、史籍集覧、戦国遺文まで揃えてた。あと何とかコレクションと銘打たれた棚に(寄贈書?)地方の自治体史が結構ありました。
もしかしたら都会じゃ普通かもしれないけど、神戸や芦屋はそんなに揃ってない…
戦国遺文の三好氏編第2巻をパラパラと見ていくつか書き写すだけで、閉館時刻となりました。
チャリで1時間かけて行く価値はあると思いました。でもパソコン持ち込み禁止はきつい。コピー代くらい払って行けってことかな。



なんだか美味しそうに見えた。子供の頃だったら口に入れてたかもしれません。
山城跡に登ったはずが、きのこ巡りみたいになってました



【知らんがな】アバターっていうとUltima IVを思い出す世代です
楽天か何かの広告でいつも竹下のミルクックが表示されて、うぉーミルクックー!!!ってなるのでやめてほしい。もしくはうちの近所でも売ってほしい。
日本中世史論文bot @rkscinii がいい仕事してくれている。リアルで三好氏研究されてるっぽい方もいて勉強になります。
絡まないので当然だけども、フォローばかり増えてフォロワー全然増えない。ツイートしてもひとり。
あとRT経由で知ったこのイベント
高橋氏660年記念事業
http://www.all-iwami.com/modules/news/index.php?page=article&storyid=1025
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高橋氏は備中の国松山城から阿須那に来たと考えられています。
そして、石見・安芸にまたがって勢力を拡張していきました。
高橋氏ゆかりの地である阿須那で学び、楽しみ』1日を過ごしてみませんか。
【開催日】平成27年10月3日(日)
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岸田裕之先生の講演「大宅姓高橋氏の時代から毛利氏へ」に藤掛城跡登山、締めは創作神楽「藤掛城」初披露!
とても行きたいけど車ないと無理だろうな…