え、うささん、うささん、わたし、昨日なに「開設」してたんですか?
マジ謎なんですがっ!
まあそれはよくて(←いいのかw)
仕返しは、ふふふ、お楽しみあれ☆
はいっ!>ないならつくればいいのよ!
ん?
昨日はなにも作ってないと思うのですが??
はい、ともかく作ります
ありがとです~☆
掌編というキーワードはなかった……
ハイク、そうか、
ハイク、そうなんだねええ
鮫さん、イタリアンカラーのお星様をどうもありがとうございます☆
クリスマスシーズンらしく、白いマフラーでも巻いておけばよかったかな?
ちなみに、
なにげにコスチューム好き~なので、
深緑色のワンピースにあの赤いコートきて白いストールを巻いて白いニット帽をかぶったこともありまするw
『夢のように、おりてくるもの』 第二部 「階梯と車輪」22
http://karakusaginga.blog76.fc2.com/blog-entry-614.html
ここで黒髪君こと夢使いの来し方が振り返られているわけですが、
んーと、「異能」であるとはどういうことか、大勢のひとと「違う」ということがどんな意味をもつのか、てわりとSFやファンタジーでは王道テーマだと思うのです。または、多くのものがたりは主人公がユニークであるということ、そのひとがこの世でたったひとりの人間であることを証明したり全肯定したりするそれだといっても過言ではないと考えることがあります。
とか真面目なことを書きながら、
黒髪君はなんのかんのとムッツリスケベというやつだなあ(と、うささんにご指摘いただきましたw)と思い、ちょーめんどくさいやつだ、とわが身を省みず(あえてね、あえて!)嘆息したのでした。まる。

茶髪くんが着てるのと似てる?
(形が違うけどね。イタリア製立体裁断の優れものなのでチョーお気にです☆)
http://h.hatena.ne.jp/usaurara/243586240280883084
http://h.hatena.ne.jp/usaurara/243603831278374226
逆に黒髪君がきてるモッズコート(ですよね? 風、かな?)は欲しくて何年も狙ってるけど気に入ったのが見つからず。意外にあれ、ハードさと甘さのバランスがむずかしいのだ。
昨日わたしが着てたの真紅のコートですよ☆
ういうい、がんばります!
どうでもいいけど、わたしがホットミロでうささんが日本酒なところでなんかこう、勝負あった! な感じだな。
悔しい~~><
いま家に辛口なお酒とかないのよね(捻挫してから腫れるので禁酒しとります)
クリスマスプレゼントにいただいたウィスキーボンボン食べちゃおうかな(←これも微妙におこちゃま風だよw)
イってらっしゃ~い!
いいなあ、わたしもご相伴させていただきたいわv
(指くわえてるの図)
よくわからないのですが、
お祝いしていただいたので「ほっとみろ」飲みます!(←ちょー関係ないってw)
冬至の今日も寒いねえ。
ちゃんと柚子湯の準備は万端なのであった☆
ピラネージの建築空間を遊歩する
『幻想の牢獄』3D映像化の試み
発表者|グレゴワール・デュポン(映像作家)
司会|小澤京子(UTCP)
2012年1月10日|火|17:30–19:00
東京大学駒場キャンパス18号館1階|メディア・ラボ2
使用言語|英語(質問は日本語・フランス語も可。ピラネージに関する簡単な日本語レジュメを当日配布予定)
入場無料|事前登録不要
主催|東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」(UTCP)
中期教育プログラム「イメージ研究の再構築」
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2012/01/utcp_workshop_an_architectural/
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ピラネージふぁんは是非☆
「だが私はファシストではない、私は理性を信じるし、話しあいを最上の進歩の手段と考えている。だから憎しみよりも正義を好むのだ。ゆえに、私はこの本を書くにあたって、犠牲になりましたというあわれっぽい調子を捨て、証人が使うような、節度ある平静な言葉を慎重に用いたのだ。私の言葉が感情を抑えた、客観的なものになればなるほど、それだけ信用の置ける、有意義なものになると考えてのことだった。ただこうすることによってのみ、裁判に臨む証人は任務を果たすことができる。つまり判事に判断材料を提供できるのだ。そして判事になるのは、あなた方読者だ」
プリー…[全文を見る]
プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』(朝日選書)
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「オデュッセウスの歌」の章のところで泣いてしまった。スープを運びながらアルザス生まれのジャンに『神曲』の一部を訳しながら伝えるところ。確信はないけれど(原文を知らないし、わたしには推測不能なものもあるので)、この本の章題のいくつかはなんらかの文学作品等(聖書含む?)のもじりなりそのままになっているのではないかと思われる。「夏の出来事」「善悪の彼岸」、さいごは「十日間の物語」だ。
わたしは、本を読む際にその内容そのものよりもそれがどう書…[全文を見る]
いちおう言い訳をしておくと、
若くても、思慮にとんで捨てて困るものがたくさんある、血気に逸らないひともいることとは思いますけどね
まあそれが「イメージ」の問題ってやつ、なんだろうな
ましてこの「イメージ」というのが、いっとう利用されやすい
で、げいじゅつかが利用されてきちゃったのが歴史てやつよね
いえ、すごくすごくわかりやすい、つまり明確なおこたえで有り難いです!
わたしがぼんやり思ってたことや、そうなのかなあってところがハッキリ掴めました。ありがとうございます。
ええと、わたしのなかでは「つながり」ました。
提示してくださった三つの点を鑑みると、
ああいった本を読むたくさんのひとたちは(図書館にけっこうな量の片付け本があることやメディアでの反応を考えると読者は多いわけです)、憑きを落とす、運気が悪くなることを恐れていたり何かしらの霊験を求めたりして「片付け」をしているというよりは、たぶん、本来なら「損得」で語られること…[全文を見る]
片付けはたしかに文字通り「片をつける」なわけですが、
「抱えてるもの」にそんな楽に片をつけられるなら、誰も小説なんて書かないさ(というか、だから世の中の多くのひとは小説なんて書きませんってば!! という突っ込みはじぶんで入れさせていただきますけど、つまりこれが愚痴だしヤッカミなんですよね? はい、反省します)
んと、
gusutav5さんのおっしゃるような「日本人の精神」に関してはわたしも同じように感じるのです。
たとえば年末の大掃除とかもその最たる例でしょうし、茶室は禅宗の流れを問うたほうがいいかもですが、それでもああした場所の清潔さ、穢れへの忌避感みたいなものは何かしらこう、「日本人の精神」といいたいようなきもちは自分にもあるのです。
ええと、それで、そういう件とはべつにして、
この「確信」に関しては、
この何か月かわたしが「片付け本」を何冊か読んだなかで「気になった」ことなのでした。
以下、愚痴としてしまいこんだものをコピペです。
・・・・・…[全文を見る]
「太古の昔から宇宙に進出するような未来まで、ラファティの話は時代を超えて面白い。ラファティが大いに売れたりするようなことはないので、なかなか継続してラファティが出版されることがなくファンはがっかりするが、必ず小出版社や個人などが情熱を持って作品を発掘することになる。その動きは頓挫してしまうことが多い。しかし悲しいことばかりではなく、また新たにそういう出版社や個人が現れる。ラファティの作品が死ぬことはない。ラファティを読むと元気になる、明るい気分になるというのはそういうことではないか。ラファティは希望の作家なのだ」
http://ishokuna-hanashi.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/sf2011-2f6a.html
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