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理不尽で無意味なものに如何に従順に振舞えるか、を集団への忠誠の証とし、それを出世の鍵とする様な手法は撲滅されるべきであろう。

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かの人を抑圧するもの、思想慣習社会的圧力立場それら一切合切と戦っていきたいと思う。
しかしそれらを是認し、別のことで私を助けよ、と言うルートは正しいのか?
緊急避難としてはいいだろう。しかし、別のことでかの人を助けることと、抑圧するものと戦うことは両立するしバッティングすまい。
何故自分を苦しめているもの、それ自体を野放しにすることを求めるのか。まずそこだろう。

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何人たりと言えども、自分を不当に貶め不当に負担を強いるルールに縛られる必要はない。
しかし、自分で自分にそのようなルールを課し、そうあろうとする。正直意味が分からない。
手っ取り早い、確かに縛られる方が手っ取り早くはあるだろう。しかしそれは幸せになるためのルートでは明らかに、ない。
不幸になるためのルートを取って欲しいと言う。それを緩和するのは貴方がそのルートこそが正しいと考え方を改めることだと言う。
彼女の希望には添いたい。しかしそれ以外の要素全てが理論と感性共に否定する。そのルートは危険だ。決して彼女を幸せに導きはすまい。

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どんなに愛情が深かろうがさー、行動が誠実であるかで量られるわけじゃん?
「自分はあの人を愛してるから」つって暴力を振るったり給料のほとんどを渡したりしないような行為が肯んじられることはないじゃん?
なら最初から誠実かどうかだけで良くない?何故測定不可能な気持ちで図ろうとするのか。

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羽生さんが出た八王子の将棋クラブが閉鎖したそうだが、理由がオーナーの健康上の理由だった。
クラブには羽生さんを目指す子供達も訪れていたということなので、後継者がいないのも年金なしでは食えない経営状況ではなかったのか、と憶測するものである。
ベーシックインカムがあれば存続できたのかも知れない、ひょっとしたら。

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人は相反する欲求を同時に抱く。

「頻繁に掃除したくない」と「部屋に埃が積もっていて欲しくない」、前者を選ぶのなら後者が叶えられないストレスは受け容れるしかない。

この例だけに寄らず、同時には成立しない(外部の理不尽な力により成立しない場合でないか検証は必要だが)幾つかの条件の内、どれかを自分で選ぶのならそれによる別のどれかが達成されない不幸は自分自身で受け容れるしかない。

それはしょーがなく当然のことである。悩むだけ無駄だ。特に前者の欲求がしょうもないことの時はとっとと自由になることだ。

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押しても引いてもビクともしなかった大岩が、上の方をツンと押したら転がり出す。
物事を成すにはそんなやり方の見極めが大事なのであって、自分自身が何をしたいかなんて事は割とどうでもいい事なのだ。
そして大事なのは社会にとって良いことをすることだ。だから何が良いことなのか、それに正しさがどれだけあるのか考察を日々行っていれば「良い、簡単にできる」この二つが重なったことをやっていけば良くなる、即ち人生楽になる。

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これでいい。それでいい。ではなくて、永遠に答えは出ないと割り切って悩み続け考え続け議論し続けること、そしてその時点での答えを採用したり表明したりすること。そして適宜修正すること。

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事実がどうなのか、事実は何なのか、それは我々には永遠に分からない。
それでもある程度は分かる。
事実と思ったことはしばしば覆る。しかし我々は覆ることを考慮に入れ用意をした上である程度分かった事実に沿うしかない。
それはとても面倒なことではあるが、それが結局トータルでは一番手間を省く。

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誰が献金したか政治家に分かる形での政治献金は企業も個人も禁止か強い制限があるべきだと思う。賄賂と変わらん。

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この様に、正しさや美しさを数値化することを提唱すると、多くの人から拒否反応が返ってくる。
しかしながら、どちらが好きか、どちらを美しい・正しいと思うかを判断するとき、人は意識上か無意識下に数値化を行なっていると思う。
そして、この数値化は(困難ではあるし、我々はまだ科学的で共用できる計測法を持たないが)行わないとどうなるか。我々は感覚を共有できる相手としか分かり合えないのではないかと思うのだ。
正しさや美しさの数値化を行いそれをすり合わせることで、人間は分かり合えない人とも分かり合うことができる。僕は割と日々その感覚を実感している。

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人生に於ける様々な障害は、乗り越えてもいいんだが、それだと非常に大変だ。
人生の障害は避けたり潜ったりするもの。その方が楽だし頭を使う余地があって楽しく障害に立ち向かえる。

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「外国人材拡大法案」
細かいところがまるで決まっていないのではないか。
こんなので法を成立させようとするな。
野党も「審議時間が足りない」んじゃなくて審議する前提の内容自体が足りないんだが、そこちゃんと突っ込んでいるのか。
憲法審議会の方もそうだが…。
圧倒的に数の少ない野党の存在意義は、与党案を廃案に追い込むんじゃなくて法の内部に政府が好き勝手できない様に掣肘する条文を組み込むことなんだから役に立ってくれよ。
与党も与党でいい加減な仕事すんな、政治家は政策立案業者だろうが。

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正誤の問題、正しいとか誤ってる(間違ってる)と言うのは、
ある相容れないAとBに於いて「片方が正しく、則ちもう片方が誤ってる」のではなくて、それぞれの正しさと誤りさを(困難ながらも)数値化して比較する手法が重要だと思っている。
この際、AにはAの正しさαと、BにはBの正しさβがある、と考えるのではなくて、
Aには正しさαが100あり正しさβが30ある。一方Bには正しさαが80あり正しさβが80ある、故にBの方がより正しい、と言う様な思考法が必要だと思う。
ここまでBの方が正しい様に見えるが、正しさγを考慮に加えるとAは正しさγを20持っており、Bは正しさγが-20であるのでAの方がより正しいと判断される。
この様な思考法をすると、相容れない敵が何を重視しているのか理解しやすくなり、敵が敵でなくなり妥協点も見出しやすい。

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大平洋戦争時に於ける日韓間個人請求権に関しては「解決済み」と言う表現も良くない。
「日韓両国の政府間で合意が締結されているので、それに沿わざるを得ない」とか言うべき。

この問題に関しては、「日本側の行った補償が妥当なものであったかどうか」の視点が重要であり、まずはそこから考えるべきである。
で、やはり不十分であった、と見るべきであろう。
そこが分かっているから日本政府も形を変えた韓国支援を行ってきたのかと思う。

しかしながら、国家間で(複数回に渡り同一内容で)結んだ合意を、後から反故にしたりコロコロ修正を申し出たりできるのであれば…[全文を見る]

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基本的に政府はその国の公用語を読み書きで操れない人々の移住に積極的であるべきではない、と思っている。
一応建前では「日常会話ができる」ことが条件にはなっているが実態は甚だ緩い。
移民よりも難民の受け入れに対して積極的であるべきで、その方が国際貢献度は高い。

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前職場ではちょっとしたパワハラ的な上司がいたのだけど、幾らかは正しいことも持ち合わせていた(往々にしてそうであり、だからこそ難しいのだろうが)。
その中でも「人に教えることができて初めて『覚えた』と言える」と言うのは結構重要な項目だったと思う。

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「変に隠そうとするからおかしなことになる」と言うのも一理ある。
タブーにするから変になる。
結局「何事も程度」
規制しようとするとゼロになってしまうのもよろしくない。
法規制ではなく自主規制により、存在はするのだがまれにしか目にしない程度なのがベストなのだが、良識に委ねる形になる。それはそれで崩れやすかったり歯止めが効かないリスク。

自主規制:バランスを取るにはベスト。しかし揺れやすく崩壊も起こりうる。
法規制:安定している。しかしゼロか100かに陥りやすい。
両者のミックス。これが目指すべき基本ライン。と言うか世の中基本そう指向されてる。基本は。

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マイノリティか弱者か。基本的に弱者に寄り添うべきであって、マイノリティであるが故に弱者であるから寄り添うのである。決してマイノリティであることに権利があるわけでは無い。
例えば、人類の中で数少ない(レベルの)腕力ある人間が、その力を以てその他大勢を蹂躙するケースでは当然寄り添うべきは多くの弱者で少数の強者では無い。

大事なのは、その弱者性が何か理不尽な方法によってもたらされていないか検証することだ。例えばあるジャンルにおけるトップオブトップが、社会から忌避され孤立するケースはある。

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人権は国家がなくても存在しますよ。ただ国家や行政があった方が人権に即した社会の成立に効率的だから「国家・行政」と言う手法を採用してるだけなんですよ。
言うなれば国家は八百屋であっても農家ではない。