「皆んなで豊かになる世界」に反対するのは、きっと皆んなが豊かにはならないから。
皆んなが豊かになろうとすると、だいたい一部の社会正義のない輩が他者を踏みにじって豊かになる。そして大多数はそれに阿り「理不尽な不幸」を強いられる人達が生まれるから。
「強者に制限を」そうでなければ面白くも美しくもならない。アメリカンスポーツの世界を見ればそれがよく分かると思う。公正性こそが世界を救う。
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「皆んなで豊かになる世界」に反対するのは、きっと皆んなが豊かにはならないから。
皆んなが豊かになろうとすると、だいたい一部の社会正義のない輩が他者を踏みにじって豊かになる。そして大多数はそれに阿り「理不尽な不幸」を強いられる人達が生まれるから。
「強者に制限を」そうでなければ面白くも美しくもならない。アメリカンスポーツの世界を見ればそれがよく分かると思う。公正性こそが世界を救う。
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ただ、会社で幾多のくそ案件に遭遇してきた経験からすると、こういうくそ案件の背後に癒着だの黒い陰謀だの賢い悪人が控えているケースはまず無くて、善人が「これいいんじゃね?」と思い付いた部分最適の愚策を「バカか黙れ」と瞬殺する人がいなかったせいで何となく始まるというケースがほとんどです
この「部分最適解の愚策」と言うのは、世間によく発生するダメ工程を非常によく説明するパワーワード。本当に多い。デメリット部分を無視しないで下さいよ、と言う話なのだが、なかなか食い止められない。
民主主義の「民主」とは文字通り人民が国の主であると言う意味であって、それは王が主でも神が主でもない、と言う事なのだ。
選挙はあくまで民主を実現するための一手法であって、民主主義そのものを意味しない。
民主主義を実現するためには選挙ではダメだった、と言う結論も当然発生しうる。
「あたし、もうおばちゃんだからー」に対しては「そんなことないですよー」って返せばいい。
ただ、返しとか言い回しとかコミュニケーションに置いては特に、「ワードが脳裏に(浮かんでこ)ない」と言うだけで困ってるケースはままあるので、
本当に簡単な「そんな簡単な言葉が思い出せんわけないだろ」と思うような言葉が使用できるワードとして組み込まれていない人はそこそこいるので、「おばちゃんだからー」をやめて欲しいと言う人のことも、あまり強く責めたものでもない、と思う。
「皆んなで豊かになる世界」より「皆んなで貧しくなる世界」を目指す人が大多数になっただけで立ち行かなくなるなら、自由主義経済と言うのは欠陥システムなのでは。
人々の変革を求めるよりは計画経済に舵切る方が早くて安全なのでは。
世の中には色んな人が居て、色んな人がいることは変えようがなくてさ、住み分けができないならば、政治の正解とは「いかに玉虫色にするか」なんだよ。
何か一色に染めたがって、別の色を敵視して、そのルートは永遠に落ち着かんさ。
ブロックチェーンの技術を利用した改竄困難な公文書保管とか期待されるところではあるけれど、修正不可能となれば記録が取られなくなり、私的メモとして廃棄される、と言うのも分からないでもない。
完全公開は200年後とするとかどうだろうか。当事者が死に、当事者を知る人も当事者を知る人から直接話を聞いた人さえも死んだ後の世である。
迷惑を被る人はいないに等しい。会ったこともない3世代以上前の祖先や先輩の名誉とやらを気にする人もいるだろうけど、それは過剰と言うものである。
後あれな、ヤン・ウェンリーの名言、「個人が集合して国家になるのであって、国家が分裂して人間になるのではないのだから、どちらが主でどちらが従であるかは自明」ってやつ。
ヤンが初めて言ったことじゃないだろうけど。
野党も「現在の憲法の問題点はどこなのか、変えるとすればどうか」について研究と発表は必要だ。
憲法理解について後手を踏めば説得力を失う。
「一部でも変えると、他の変えては良くない部分にも及ぶ」との意見も分からないでもないが。
田中芳樹作品で一番心に残り、またよく思う言葉は「教育とは伸ばしたり活かしたりするもののはずだ」的な言葉。
まぁちょっと文言違うのだが。その通りだと思う。確か地球儀シリーズの冒頭。てかあのシリーズどうなったかな、二巻以降をまだ見てない。
現実(事実)は多様であるとか人によって違うとか言う向きがあるが、事実は一つである。
一つではあるが余りに量が膨大なので人間一人の脳では把握しきれず多面的に見えるだけなのだ。
すごくギザギザで入り組んでる物体をイメージしていただきたい。
それは様々な面と方向を持つが、その物体は一つである。同様に事実も一つである。
自由が生み出す幸福と、自由が生み出す毒素と。
毒素の方に制限をかけていくのがやはり良いだろう。
制限をかけるのは誰か、それが社会であれば村八分へと行き過ぎ、政府であれば弾圧的なことへと行き過ぎる。
政府・行政には良心的であってもらうしかないが、それをどう担保していくのか。
そのシステムが課題であろう。
裁量労働制になれば、仕事が終われば早く帰っていい様になる。仕事が終われば。
つまり会社はミスが許されない様になる。
既に言った様な気もするが、自民党が下野した時に期待したのは、自民がまともな野党像を示す事で、日本にまともな野党文化が根付く事だった。
残念ながら自民党は議論妨害や反対のための反対を今までより酷い形で繰り出しある、自民が政権に返り咲いた後には野党は更に悪化した様に見えた。
教師の数は増やそう。事務方を増やしてもいい。
給料も上げよう。それで他の仕事を経験してから教職に就いた人の給料を高め設定して多様性を確保し、やっちゃいけない事をやった教師の免許には厳しくあろう。
現在の「民主主義の危機」とは選挙が人気商売になって大衆に阿った結果、やたら攻撃的に排他的にイメージ優先的になどになって政治が衰えた結果、そのカウンターとして「バカへの選挙権を制限しろ」との流れになる事が危機なんであって、前段はあくまで「政治の危機」なのよね。
だから政治家には庶民をなだめつつ正しい政治を目指して欲しいところだ。
とは言え、何をもって政治家にその規制を掛けるのか、と考えると難しいものはあるよね。試験でも課しますか。正しい思想を記憶しようとするだけで、それは身体を通過して人は少しでも変わるからね。
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インドのかっこいい俳優。弛んで貧弱な我が身を思って同じ人類と思えない。自分にがっかりする。しかし、女優やモデルが標準みたいに語られる世界で、女性が感じている圧力のようなものがなんとなくわかるような気がする。
僕自身は憧れこそすれ、惨めな気持ちとかは感じたりしないが、そう言うのから圧力を感じてしまうのはよく分かる。
許容の幅は広く、認識の幅は狭く(正確に)生きていきたいね。
まぁ、俺も壊滅的に仕事できない人間だからな、人の事は強くは言えんのよ。
でまぁ致命的な短所が「時々発動する」タイプのものだから厄介なのよな。マジ自分でも厄介だと思う。そら普通の人間はあまり俺みたいなのとはお付き合いしたくないはずだし、それを恨みに思うこともない。
誕生日の1日前に歳をとってしまう腐れシステムは即刻廃止すべきではないだろうか。
ややこしいしスッキリもしない。別に後小一時間歳を取りたくないから言っているわけではない。
基本的に選挙制度を決める人達と、政治を行う人々を完全に分けるしかないと思う。
三権分立の様にお互いに牽制する仕組みすら入れずに。
両者間を移動する場合は非常に厳しい審査や情報公開を必要とさせて。