「永遠に謝り続けなければならない」事よりも「過度に謝り続けなければならない」事は避けたいと思う。
過去を引継ぎ、毎年終戦の日に式典を行い、追悼と謝罪の意を表す位は何と言うこともない。
占領地域に入国するたびに土下座しろ、とか莫大な賠償金を払い直せ、とか言われれば「俺がやったんじゃねーや」とは思う。
まぁ、戦前戦中の人々が双方に多く生きている現状で、様々な調整方法がある。それらに対する負担を拒否するものでは決してない。
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「永遠に謝り続けなければならない」事よりも「過度に謝り続けなければならない」事は避けたいと思う。
過去を引継ぎ、毎年終戦の日に式典を行い、追悼と謝罪の意を表す位は何と言うこともない。
占領地域に入国するたびに土下座しろ、とか莫大な賠償金を払い直せ、とか言われれば「俺がやったんじゃねーや」とは思う。
まぁ、戦前戦中の人々が双方に多く生きている現状で、様々な調整方法がある。それらに対する負担を拒否するものでは決してない。
警察も一種の暴力であり、「暴力を振るう輩に対して暴力で立ち向かわざるを得ない局面」、と言うのは未来永劫どうしてもなくなりはしないだろうと思う。
人間は素手にて人間を殺せるものであり、ケンカの強い人間が暴力で理不尽に及ぼうとする時、それを食い止める実力行使はやはりそれも暴力と呼ばざるを得ない。
つまり、どうしても公的な暴力は社会に必要であり、その一つが警察である。
だが警察の暴力は殺傷を基本としていない点で、軍隊のそれと大いに一線を隔す。
世の理不尽と立ち向かう警察の暴力は、いわゆる国内でしか使用できなく、国外で使用できる社会的暴…[全文を見る]
どの様に「人為的に進化に制限を掛けれるか」と言う話であると思う。
社会が天才達に先導されている以上、それは容易な事ではない。
個人的には、企業にサラリーキャップ制を導入するところから始められたら、と考えている。
現在、人の人生のサイクルに比べて社会の進化の速度が速過ぎる様になったと思っている。
世界を変えうる天才達には心地よい状態だろうが、90%以上の人々にとってはそうではない。
戦争が起きる、戦争が終わる。その後に得られた「結果」は、話し合いの末に帰着した結果を下回るものだ、必ず。
戦争が起きるのは政府が交渉役として無能だからだ。
戦争が終わり、賠償やら譲渡やら確定された国境やら条約やら、その他様々な事が決められた後に必ず「なぜこの結果を話し合いで導き出せなかったのか」と皆思うのだ。
そこには話し合いでは導き出され得なかった結果など何一つあるはずもない。
「反逆」じゃなくて「造反」だった。
そして、本当に「政治家は勝ちたがりだけがなる」と言うのは大いに問題だと思う。
国会議員は1500人くらいにして、その内500人は知能テスト(学力テストではない)をある程度クリアした人で様々な職業の人を無作為抽出して任に当てるのとか良くないだろうか。派閥政治への抑止にもなる。
結局、少しずつ少しずつ戦争は始まるのだ。
「かの理不尽に対抗するのは武力しかない」と言うのは、当然に思えるかも知れないが、それこそが引き金であり、少しずつ少しずつ坂道を転がって行き、戦果が開かれる頃には止め難くなるのだ。
交渉しろ、経済を犠牲にしても構わない。先制攻撃されるリスクは負う。
抑止力はいつか脅しとなり、お互いに「それが脅しであるがゆえに屈するわけにいかな」くなり、引けない姿勢は妥協点を見出す交渉を消し、戦争になるのだ。
今一つ良く分からないのは、南シナ海が中国の制海権内になったとして、海上輸送に何か齟齬を来すのだろうか、と言う点だ。
実効支配下にあっても領海でなければ、国際法上通行は自由なはずである。
中国が偽装海賊行為でも行えば話は別だが、海上基地を拠点とすれば流石にバレるだろう。
明々後日からの沖縄家族旅行だが、弟が単独行の予定を勝手に組んでいたことが発覚してちょっと怒っている。
母の古希の祝いの旅行なのだ。単独行するかボケが。
、と言えば確実に拗ねてこちらの意に反することをやるタイプなので扱いが難しい。
僕も正論ばかり吐いて、相手に妥協させる交渉術とか苦手なタイプなのでな。弟とは逆だ。しかしこれは何とか妥協点を引き出さなきゃならん。全部キャンセルしろボケが、とか言ってしまいたいが、言えば終わる。
消火活動は人を殺しに行くことじゃない。
中国の軍事力をバックにした侵略的開発を止めさせるためには、軍事的恫喝は下の下策で、経済的恫喝を行うべきなんだよね、もちろんスーツとネクタイで。
中国にとって既に最大の貿易国はアメリカでも日本でもなくEUになっているわけだが、それでも日米は大きな貿易相手国。東南アジア諸国と足並みを揃えて経済的断絶を迫れば中国も無視できないはず。
でもそれはやろうとしないんだよね、政府は経済の犬だからだ。全く何のための国家権力か。
何度も繰り返すけど、中国は口では日本の集団的自衛権に反対を表明しつつ、内面では諸手を挙げて喜んでいると思う。
中国の南シナ海や日中中間ラインに於ける「侵略的開発」は加速するだろう。
中国に対する「不当な軍事的圧力」と言う大義名分を手に入れることになるからだ。
そして、「自衛のためのやむを得ぬ戦争」の名目を手に入れるために日米からの先制攻撃を誘発しやすいグレーな侵略と挑発を次々と続けてくるだろう。
こういう所を懸念すべきで、軍事力は整えつつ、「はぁ?我が国は平和憲法があるので絶対に此方からは手出しできないんですよ」と全世界に向けて言える状況を固持すべき。
そして、淡々と中国の(グレーを越えた)暴発を待ち、南シナ海をフィリピンやベトナムなどの東南アジア諸国に「取り戻させ」る。
国会議員なんて、衆参合わせて700人とかしかいないのに国民1億2千万の民意を反映しないといけないんだから、
党議党略とかにいちいち従ってないで支援者と話し合った末の自分の決断に沿って欲しい。
マスメディアや我々も党議と異なる考えを「反逆」などと言うべきではない。
考え方はテーマによって一人一人違って当たり前、採決によってバラツキが出て当たり前で、そうでないなら不自然な理不尽な力が働いてるということだ。
当然、野党から与党案に賛成の票を投じる議員が出ても良い。
「安保法制を整えて置かないこと」は敵国に日本を侵略させやすくすること、ではない。
色々な「対話不能」があって一概には言えないが、「こいつとは対話不能」と思った時に相手は実力行使に出る。
強く出ることが実力行使の引き金を引くことも歴史上あるし、
「こいつにはこれ位やっても安全」と「もう実力行使しかない」の間を揺蕩いながらどちらかには片寄らせない政治技術が重要である。
日本が軍事力を行使できれば相手は攻めて来ないハズ、と言うのは甘い考え方であるし、そう考える人達は逆に、強い相手には尻尾を振る精神的弱者だからこそ、そう考えるのであろう。
蔑まれる事は割と平気だが、怒られる事は大の苦手だ。
我ながらよく分からない心理だ、人によっては理解不能であろう。
「みんなで常識を決めて、みんなでそれに従っている」ところが一人一人に話を聞くと、決めたはずの常識が決して一人一人の望んでいる常識ではない事がわかる。
何故かと考えると、みんな「みんなはこの様な常識を望むだろう」と考えて、それを「常識」と決定付けているからに思える。
他国が領空領海侵犯しか出来ないのは、あくまで挑発であって、
相手が挑発しか出来ないならそれは勝利なのだ。
「挑発すら我慢ならぬ」と言う無駄にプライドのお高い連中が戦争を呼び込む。
領土への侵入は、武力でなく警察力をもって対処し、殺すことなく逮捕し裁判に掛けるべし。
【年金】
人口も収入も右肩上がりが続くことを前提とするかの様な制度設計に問題があると思うので、
「消費税50%にして、全額を年金に充てる」様な景気連動型にするのが良いのではないだろうか。
50%も取られたら堪らないと思う向きもあろうが、これでも年金総額は減るはずなので、別の所で減税できる。
景気の良し悪しは皆で負う様にすれば、次世代を考える経済文化も育つのでは。
中々に世の中は難しい。
簡単に思える事も難しい。
と言うか、「沖縄が独立して中国寄りになる」ことは日本のみならずアメリカにとっても非常に避けたい事態のはずだが、何故沖縄の一部を無視しようとするのか。
無視されたその部分が増加して独立派が主流になったらどうするのか。暴力で抑え込もうとすれば暴力で応えるだろう、ウクライナの二の舞だ。
そして怨嗟は本土にも向く。