今週は ティツィアーノ・ヴェチェリオです。
今日の一枚は 『聖なる愛と俗なる愛』(1514)。
ローマ市内のボルゲーゼ美術館所蔵。
19世紀、ロスチャイルド家が この作品を買いたいと提示した金額は、
この美術館の建物と所蔵品のすべてを 合わせた額を 上回っていたという。
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美の巨人たちのことを語る
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来週は 久しぶりの絵画作品。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作 『聖なる愛と俗なる愛』 です。
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あんなとこ住んでみたい。。。(・ω・) ←妄想中
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スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバーが
長崎にやってきたのは、ペリーの黒船来航の6年後だった。
グラバー住宅を建てたのは、その4年後。
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夏の ”日本の建築スペシャル” vol.4、 最後は、
長崎の 旧 グラバー住宅 です。
半円形の部屋に合わせた放射状の屋根を、伝統的な瓦で造る。
その下には 洋風のバルコニー。
激動の時代に誕生した、特異な和洋折衷の建築。
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「扉なしでどれだけ 暮らせるか」。
ひと間の ”私の家” に 家族で16年住み、
その隣に ”続・私の家” を造った際も、
部屋と部屋を仕切る扉を 一切造らなかった。
中に暮らす人々に、仕切りを造らなかった。
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今日も日本の建築スペシャル。
清家清 の ”私の家”。
両親の家の庭に造られた ”私の家”。
玄関らしい玄関も作らず、地面とほとんど変わらないような低さ。
そこに、1,5m四方ほどの、可動式の畳を 真ん中に置く。
5分もあれば掃除できてしまう その ひと間の家に、
清家の哲学があった。
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(・ω・)。o 0 ( モデュロール兄弟、出てきてほしかったなぁ・・・ 来週出てきたらいいのに・・・ )
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秀吉の大阪城も、建築当時は黒塗りだったという。
松本城を 漆の黒塗りにしたのは、秀吉に仕えた石川数正親子が、
豊臣家の権威と それへの服従を表したため、という。
大阪城が焼け落ちると、家康が白い大阪城に建て直し、
それに倣って、家康に仕える者によって 白い姫路城が建てられた。
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今週も ”日本の建築スペシャル”、松本城です。
さっきまでの冒頭部分、スピルバーグの 『太陽の帝国』 の
曲が使われていたような・・・
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しまった、映画見てたら こっち見忘れてた、
て ことに 今更気づいた・・・・・・!
今週 モデュロール兄弟 出る回だったのに・・・・・・!!
(´;ω;`)。o 0 ( モ・・・・・・モデューーーーーーー!!!! )
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次回は、 ”日本の建築スペシャル”vol.1、東京タワーです。
モデュロール兄弟も出るよ!
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ゴーギャンがゴッホを描いた 『ひまわりを描くゴッホ』 は、
アムステルダムの ゴッホ美術館におさめられている。
その絵と対になる、 ゴッホが ゴーギャンを描いた絵とともに。
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共同生活の初めのうちは、ゴーギャンのほうが
指導的立場にあり、 ゴッホが、アドバイスされて
ゴーギャンふうの絵を描いたこともあったという。
しかし、一見荒々しいように見えて、
実は 黄色を引き立たせるために下地に紫を塗るなど、
本当のところは、とても計算された 優れた色彩感覚を
持つゴッホの才能に、 プライドの高いゴーギャンが
嫉妬したのではないか、 とも 言われているという。
ふたりの画家のぶつかりあいは より激しくなっていった。
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ゴッホの持つ ”画家のユートピア” 構想に、
ゴーギャンは 心底共感して共同生活を始めた訳ではなく、
ゴッホの弟テオからの資金援助が 目当てだったとも言われているという。
しかし、実際にゴッホの絵を見て、ゴーギャンは その才能に驚いた。
『ひまわり』 を見たゴーギャンは つぶやいたという。
「これこそ花だ」 と。
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今週は、ゴッホとゴーギャンです。
今日の一枚は、『ひまわり』 を描くために絵筆を持つゴッホを、
ゴーギャンが描いた 『ひまわりを描くゴッホ』(1888) です。
イギリスの新聞が最近になって報じた新説。
ふたりの共同生活が幕を閉じるきっかけとなった
ゴッホの 「耳切り事件」 は、これまでの説のように
ゴッホ自らの行為ではなく、ゴーギャンが、
発作の時に襲いかかってきたゴッホを、持っていたサーベルで
返り討ちにした、というのである。
もちろん、そうと確定した訳ではない。
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マン・レイは、その 写真の芸術性を 高く評価され、
作品が高値で取引されるようになった頃、
”写真は芸術ではない
私は写真家ではない”
と、 複雑な胸のうちを吐露した。
キキとの関係もギクシャクしてゆく。 出会って5年経った頃。
その、別れの頃に 撮られたのが、この 『黒と白』 だった。
名だたる画家たちのモデルをつとめてきたキキと 出会った時、
”あなたを フジタの絵より美しく撮ることができる”
と 言ったというマン・レイ。
その写真はたしかに、記録ではなく 芸術だった。
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マン・レイの本名は、エマヌエル・ラドニツキー。
マン・レイとは、本名のスペルを縮めたものでもあった。
ユダヤ系ロシア移民の両親のもと、アメリカで生まれた。
マルセル・デュシャンに出会ってダダイズムに傾倒、
しかし画家としてはまったく認められず、せめて作品の記録を、と
手に取ったのがカメラだった。 当時は カメラを扱える人自体が 少なく、
カメラマンは、芸術家とは見なされず、技術職と思われていた。
その後パリに渡ったマン・レイ。 画家として認められることのなかった
アメリカ時代のことは、語りたがらなかった。
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エコール・ド・パリの芸術家らの間で モデルとして活躍したキキを
写した 『黒と白』(1926)。 マン・レイが写真家として認められるきっかけとなった一枚。
目を閉じて、机の上に その顔を横たえるキキ。 そして 傍らには、
すっきりとしたフォルムの、コートジボワールの仮面を置き、
キキが手を添えている。
この写真を見た詩人のジャン・コクトーは、
”シックの極致” と 評した。
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今週は 写真家のマン・レイです。
今日の一枚は、エコール・ド・パリの芸術家たちから
モデルとして愛された、”モンパルナスのキキ” を写した 『黒と白』(1926)です。
マン・レイは本名ではない。 直訳すれば ”光線男”。
自身について語ることを嫌い、私を知りたければ私の作品を見てくれ、と言った、謎多き男。
/美の巨人たち