アントニ・ガウディは、かつてリュイス・ドメネク・イ・モンタネールの
教え子だったのだという。
その作風から ”花の建築家” と呼ばれ、建築界の中心にいたドメネク、
最後までアウトサイダーとして存在した ”神”、ガウディ。
たったひとつの共作は、バルセロナの中心となるカテドラルの案。
しかしコンペでは落選したこの作品。 その後、2人の道の違いは
鮮明となり、二度と 共に制作することはなかった。
スペイン建築界の中心人物として生き、世を去ったドメネク。
”世界一美しい音楽空間” とも言われるカタルーニャ音楽堂は、
1997年、世界遺産に登録された。
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美の巨人たちのことを語る
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元々は独立していたが、スペインに統治されて自治権を失ったカタルーニャ。
そして、かつてのカタルーニャの空気を呼び戻そうと
カタルーニャ・ルネサンスの機運が高まる。
19世紀末から20世紀初めのカタルーニャで起こった芸術運動が、
”モデルニスモ” だった。
建築では、まさにガウディやドメネク・イ・モンタネールが中心だった。
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今週は建築です。 リュイス・ドメネク・イ・モンタネール作、
カタルーニャ音楽堂(1908)。
装飾過多とも言える外観。
それは、同じスペインで同時代に生きた ”建築家の神”、
アントニ・ガウディの存在なくしては 語れない。
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ルソーの絵の色彩を より 引き立たせているもの、
それが、ルソーの ”黒”。
そのうち、新しい絵画表現を求める多くの人々が、
ルソーの絵に 心酔するようになっていった。
そして、ゴーギャンは こう言ったという。
「この黒は 誰にも真似ができない」
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絵画としてではなく、 絵を描く人向けに、
なんと カンヴァスを ”再利用” するという用途のため、
たった5フランで 売られていたルソーの絵。
しかし ピカソがそれを買い、「もっとも真実味のある肖像画」
と言って絶賛、 その絵を 生涯手放さなかったのだという。
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それまで 報われなかったルソーの絵も、『蛇使いの女』 が
前衛絵画の ”サロン・ドートンヌ” で入選。 誰もルソーの絵を
笑わなくなる。 それでも絵は売れず、生活は苦しかった。
今日の一枚に描かれている ジュニエ爺さんの店に、
ルソーは かなりのツケがあり、そのお詫びに この絵を描いたのだという。
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専門的な美術教育を受けていないため、遠近法を
自らの絵に 用いなかったルソー。
しかし、 当時 セザンヌやゴーギャンも
あえて 遠近法を無視した絵を 描いていたのに、
世間は なぜか ルソーの絵ばかりを笑ったのだという。
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今週は、”偉大なる日曜画家”、アンリ・ルソー。
今日の一枚は、『ジュニエ爺さんの馬車』(1908)です。
さっきから、薫さんのおだやかな声による ルソーへのツッコミが楽しい。
”子供のような絵” と言われながらも、人々を魅了するルソーの絵とは。
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関東大震災と、それに続く金融恐慌、その危機から造船所と
社員を守るため、やむなく美術品を手放し、美術館をつくる夢も
実現が叶わなかった松方。
ブラングィンもまた、本来なら 代表作と呼ばれるに至ったであろう 大作を
火事で失うという悲劇に見舞われ、美術界の表舞台から姿を消し、
今では 忘れられた芸術家となった。
芸術が 広く世に親しまれることを望んだ実業家と芸術家の、数奇な人生。
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美術品収集に力を入れた松方幸次郎は、造船所の社長であり、
そんな松方の琴線に触れたのが、ブラングィンの 造船所の絵だった。
日本に美術館をつくる夢を、ブラングィンに語った松方。
美術館のためにブラングィン作品を得ることも、ロンドンでの美術品収集に
ついても ブラングィンに相談した。
めったに肖像画を描かなかったというブラングィンが、松方の肖像画を
描いていることからも、ふたりの交友がうかがえる。
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漱石も、小説「それから」の中で ブラングィンに言及するほど
その当時は よく知られた存在だったブラングィンだが
(漱石はロンドン留学の経験がある)、現在では なぜか その名を
ほとんど忘れられている。
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今週は、イギリス人芸術家 フランク・ブラングィンです。
今日の一枚は、『造船』(1910-15)です。
ル・コルビュジエ設計の国立西洋美術館の軸となる松方コレクション、
そして松方幸次郎とブラングィンとの その関わりとは。
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月を垂直に見あげる虎。
無限の宇宙を見あげ、人間が 小さな存在であると自覚しつつも、
生命、人生を慈しむような気持ちだったのではないか…とは、研究者談。
1960年に発見された小惑星には、「北斎」と名づけられたものがあるという。
最晩年の90歳になってからも、2枚の虎を描いている北斎。
その虎の表情に表れるのは、北斎の心境か。
「 人魂で 行く気 散じや 夏の原 」
これが、 北斎 辞世の句である。
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「画狂老人卍 墓」 と刻まれた、北斎の墓(晩年そう名乗った)。
90歳まで生きた北斎は、死ぬ間際、
「あと10年生きたい、いや、あと5年でもいい、
あと5年でもいいから、生きて 絵を描きたい」
と 言ったという(墓のあるお寺の住職談)。
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今週は葛飾北斎です。
今日の一枚は、『月見る虎図』。
版画ではなく、肉筆画。 何を思うか、月を見上げる 虎の姿。
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この絵の不思議な動作は、ガブリエルが 多くの子を産める女性であること、
指輪は、アンリ4世に対する ガブリエルの結婚願望を表わし、
そして 背後で召使がおしめを縫っている、という説。
しかし、問題は この絵が描かれた時期。
アンリ4世が、ガブリエルの死後にこの絵を見たとすると、解釈は変わる。
(1599年4月、ガブリエルは アンリ4世のもとを離れパリへ。一説では、
友人宅で食事を摂ったあと苦しんで死んだ(=毒を盛られた)と言われ、
また、妊娠中毒症だった とも言われる )
ガブリエルの死後、この絵を見ると―
指輪は、ついにはめてもらうことができなかった(=王妃になれなかった)ことの暗示、
召使が縫っているのは死装束、燃え盛る暖炉の炎は 無念の火・・・
そのようにも解釈できるというのである。そしてこの絵は、描かれた当時は、
人目に触れるものではなく、アンリ4世 ただひとりのために描かれたものだった。
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ブルボン王朝の最初の王 アンリ4世を 虜にした愛人だったという、
ガブリエル・デストレ。 王妃の座も見えていたが、それが
実現することはなかった。 毒殺されたのではないか、というのである。
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かつて フォンテーヌブロー宮殿で活躍した画家たちは、
フォンテーヌブロー派とだけ呼ばれ、後世に名を残すことはなかった。
今週は、そのフォンテーヌブロー派。
今日の一枚は、『ガブリエル・デストレとその妹』(16世紀末頃)。
向かって右が ガブリエル・デストレとの説。
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平山郁夫 『仏教伝来』
玄奘三蔵と お付きの僧が 馬に乗り、森の中をゆく姿。藍色の背景の森。
広島での被爆体験ののち、”生きた証を残したい” と考えた画伯の、渾身の一枚。
妻の実家にいた犬のイングリッシュポインター、大学にあった剥製のキジ、鳩・・・
玄奘三蔵の背景として描くにはそぐわない、身近な生き物を
描いているのは、それこそ、死を意識した画伯が、描かずにはいられなかったものだった。
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今週の美の巨人たちは、昨年末にお亡くなりになった平山郁夫画伯です。
今日の一枚は、29歳の時の作品、『仏教伝来』(1959)。
のちに、シルクロードを描くことを ライフワークにすることとなる画伯にとって、
画家人生を左右するほどの 重要な位置づけにある作品。
/美の巨人たち