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史跡巡り同好会のことを語る

郡山城周辺の史跡を一通り回った頃には、すでに17時を過ぎ資料館も閉館していました。
元就が青年期までを過ごした多治比猿掛城跡も見ておきたかったのですが、3,4kmくらい離れた場所にあるので断念…。

郡山城の麓にある清神社。
京都祇園社の荘園吉田荘の鎮守として毛利氏代々の崇敬を受けたことで知られ、元就、隆元、輝元の棟札も残っています。(吉田歴史民俗資料館に展示)

清神社境内には、石見の有力国人・高橋氏の出身で、元就の父・毛利弘元の継室であった「杉大方」を祀る「椙若社」があります。
元就は後に子息に宛てた書状の中で、幼くして両親を失い、兄・興…[全文を見る]

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史跡巡り同好会のことを語る

引き続き吉田郡山城跡です。
資料館にはそれなりの観光客が来ていたものの、城山に登っている人はほとんど見ませんでした。
唯一、元就墓所でそれぞれカメラを抱えたカップル(夫婦?)が先行しているのに出会いましたが、私が三の丸跡に登った辺りでそそくさと下りて行きました。
実際、全面を木に囲まれ見晴らしの良い場所もなく、石垣もほとんどが崩落するか石材として運び出されているため、特に思い入れがない限り、あまりお奨めできる場所ではありません。

毛利元就墓所。一帯は、1573年元就三回忌に嫡孫・輝元が建立した菩提寺「洞春寺」の跡でもあります。
洞春寺…[全文を見る]

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史跡巡り同好会のことを語る

8/15早朝から宮島の弥山に登った後、午後からは、元就の時代まで毛利氏の本拠地であった吉田(安芸高田市)へ向かいました。
この日は登山のため移動に時間を取れないので、18きっぷは使わず広島市内から1時間かけてバスでの移動です。
城攻めに行きたい気持ちを抑えて、まずは郡山城の麓にある吉田歴史民俗資料館へ。(先に登ってしまうと下りる頃には閉館してそうなので…)
やはり中世の毛利氏関連の展示が多く、郡山城や多治比猿掛城をはじめ周辺の毛利重臣達の城(桂氏の桂城、福原氏の鈴尾城、渡邊氏の長見山城など)まで紹介ビデオがあったりして、史跡巡りには大いに…[全文を見る]

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史跡巡り同好会のことを語る

8/14~17にかけて、青春18きっぷで毛利氏の史跡巡り旅行をしてきたんですが、投稿するのに適当なキーワードがなかったので立ててみました。
(「城」「歴史」が付くのはあるんですが、墓とか古戦場も含めて書けるキーワードがなかったので)
初日は宮島で花火大会と夜の厳島神社を観覧、そのまま島内の包ケ浦で一泊しました。
包ケ浦というのは厳島合戦で、嵐の夜に毛利軍の本隊(元就、隆元、元春)が上陸したところです。
陶晴賢の軍勢が宮尾城を攻めあぐねている間、ここから陶軍背後の博打尾まで登り、翌早朝の奇襲に至ったのですが、弥山登山のついでにそのルートを辿…[全文を見る]