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八重の桜のことを語る

藩っていう仕組みの中でだけ藩主と家臣の関係があるとしたら、それは人としての結びつきじゃないわけで。それでも、藩士が「会津のため、主君のため」と思う時には、その想いに答えられる存在でいなきゃいけないわけで。殿は他の家老とは激動の京都を共に過ごした日々の結びつきがあったと思うし、佐川さんとか八重ちゃんとかは個人的なご恩を抱いていたわけで。
「女性も子供も皆我が家臣」の言葉は、いろいろ非難もできる台詞かもしれないけど、でもこのまま受け取りたいなぁ。

で、八重ちゃんの衣装には萌えますよね…。どなたがデザインなさったのか、すばらしいです。

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八重の桜のことを語る

・お父上越しの尚之助さまの表情と、予告での吹っ切れたような尚之助様の表情が気になります。
・殿の甘さ、理想家気質に救われた人もいた。何に報われるかは人それぞれ。
・八重ちゃんは政治は知らない。家から出て、今は軍事の場にいるけれど、その先のことは知らない。ただ今のことに必死になる女性たちの姿が悲しいなぁ。
・佐川さん、時々殿にタメ口になっていましたが…お疲れだったんですね。

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八重の桜のことを語る

あと、うらのところにミネが「彼岸獅子が来た!」って走ってくるシーン。あれは日常でしょう。籠城という非常事態の中で、あの母と子のシーンは日常風景だったと思うんです。戦争は非常事態だけど、戦争の最中にお城に子供を連れて上がること、そこで仕事をすることは異常ではないんですね。
「城を枕に討ち死にだ」とか、「足手まといにならないよう、誇りをかけて自刃する」には、どこかしら決断があるように思うけど、子供連れで籠城するという姿には、生活の、日常のその先に歩いて行った結果のように見えました。決断はもちろんあったのだろうけど…。
戦争っていうのは…[全文を見る]

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八重の桜のことを語る

慶喜公が背負っているものを捨てて捨てて徳川家を守ろうとしたのと反対に、容保公は背負って背負っていく道を選んだんだと思う。最後は江戸という時代、武士の時代を背負っていたんじゃないのかな。
合理的に考えれば、主君であれば藩の領民の命と生活に責任がある。名君と言われた人は藩は領民のもの、主君の座は借り物とも言っていて、この時代にはすでに藩や領民はワタクシのものとしないという考え方があった。ただ容保公はワタクシのものとして家臣や領民の命を危険に晒し、失わせたのではないと思うんだけどな。
土佐たちは容保公がいたから、切腹という選択ができたわけだし。

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八重の桜のことを語る

・どのシーンを観ても、辛く悲しいことばかり。でも、戦争ってこうだ。誰も幸せじゃない。誰も嬉しくない。こういうものを描けるのは、もうここしかないのかな。
・彼岸獅子での入場。大蔵隊の入場に沸く人々、子供たちが悲しい。
・大蔵さんの奥さんを抱き寄せる姿がよかった。それを目にする八重も。二人の思い出でもある(八重にとってはそういうわけでもないだろうけど)彼岸獅子を交錯点に、解けていく大蔵さんの初恋の想いがよかった…。

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八重の桜のことを語る

容保公が暗愚か?
暗愚ではないと思う。会津の家訓に従って、会津公として幕府に尽くそうとしたときと同じように、今、家臣に尽くしているんだと思う。望まれる主君を最後まで貫こうとしているんだと思う。そうでなければ、大蔵の入場の際のあの表情は説明がつかないもの。
家臣にだって生き延びたい人はいた。領民だってそうだ。自分の首で戦が終わるならそれでもいいんだと思う。ただ、京都から会津まで自分(ではなく、“会津”という共同の信念)に付き従ってきた家臣のために生きて戦っているんだと思う。
家臣にただ生き伸びろと言うのではなく、新しい価値観を与えられればよかった。でも家臣が望んでいるのは、新しいもの、変化するものではなくて、変わらないものだったんだと思う。
どちらかを選ばなければいけなかった。間違った選択だったと思う人はいる。けど、間違いではなかったと思う人もいる。そういうことだと思う。

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八重の桜のことを語る

・45分間にこれだけ大勢の人間の生死を描き込めるっていうのは、これまで、それぞれの人間をどれほど丹念に描いてきたかってことだと思う。駆け足には見えない。
・誰にも言い分はあると思うけど、切腹する家老も自決する家族も白虎隊も、その選択に何も言えない。
・それでも、まだ戦闘は続く。

・尚之助様が会津が追い込まれるにつれ、藩の中で力を発揮する場は広がってくるけれど、常に後手に回らざるを得ず、悔しいだろうなぁと思う。ようやく共に戦える日が訪れて、よかったと言っていいのか…。
・尚之助様が八重に「やっぱり来ましたね!」と言った一言が、よかった…[全文を見る]

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八重の桜のことを語る

頼母夫人(宮崎美子さん)が脇差し、太刀と渡したあと、何か渡していたでしょう?頼母さんが気づいて、うるっとしてうなずくようなかんじがあって。あれは何を渡したんだろうか。

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八重の桜のことを語る

・頼母vs家老。京での戦いの日々を知らない頼母、今の戦力差を心底は知らない家老たち。
・でも今、停戦を求めたら、他の列藩同盟にまた違った被害が出るよね。停戦できるわけはないけど。あぁ、でも戦争が続いたって被害は出たわけだなぁ。自藩が戦場になったのは、江戸までの進軍以降は今日の進軍ルート以外にはどこがあるんだろう?
・容保公が頼母を白河総督から降ろしたのは、修理みたいにしないためじゃないかな。代われば勝てるってことではなく。

・長岡戦は台詞のみ…。

・新撰組と白虎隊の交流。自分たちを取り囲み、話をねだる子供たち。あんなふうに迎え入れら…[全文を見る]

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あんつぁまハイパータイムについて
今の会津の人や周辺の人は会津の生き残りのために必死。あんつぁまも会津を救う事しか頭になかった。でも、あんつぁまは違う「自分がすべきこと」を発見したんだと思う。
戊辰戦争を生き抜いて明治の世に活躍した人たちは(政府でも在野でも)、故郷が焼け野原になって、その後も苦しい思いをして、新しい視点を手に入れたんだと思うのだけど、あんつぁまは一足早くそれを手にいれたんじゃないかなぁ。故郷の喪失より早く、視力を失った絶望感無力感で。
会津戦争、戦後を通しての変化なら、描くのも、観るのもわかりやすいけど。あれは、あんつぁまの「w…water…!」(出典ガラカメ)だと思っています。

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八重の桜のことを語る

河井継之助さんが出たと読んで、急ぎ録画を鑑賞。

・うらの嘆きと健気に立ち直ろうとする姿がなんだかもう…。どうするの、うら。本当にどうしてくれるつもりなの、うらをー!
・慶喜、心のうちを明かさず飲み込む言葉。徳川三百年の生け贄。あのどこを見ているとも知れない顔、目の動きがなぁ。この世に自分として生きていた実感がないのではないだろうか。「最後の将軍」読んで以来の慶喜贔屓なもので…すみません。
・広沢、決死の江戸潜伏、新政府軍への潜入。みんな、自分に出来る事を必死でしている。岡田義徳さんが好きなんです…すみません。
・局長が…。
・ありがとう奥羽越列藩同盟。庄内藩も出してほしいなぁ。
・次回予告が、もう予告だけで、いやだいやだいやだ…。

先週の感想は
・いいタイミングで登場したと見せて、結局尚之助さまにいいとこを持っていかれる大蔵君。
・泣き叫ぶ八重さん…。

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八重の桜のことを語る

維新側も幕府側もそれぞれが見ているものはバラバラだったはず。そのバラバラがすごい力になって、徳川幕府の瓦解に至ったんだと思う。明治維新っていうのは、その後の混乱を何をしてでも生き抜いた人が作ったもので、結果「明治維新」なんだと思う。

ところで孝明天皇のお下がりで作った陣羽織は誰か持って帰ったのかなぁ?

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八重の桜のことを語る

母の習い事の先生が福島の方で「もう観られない…」とおっしゃっているそうです。そうですよねぇ…。

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幕閣の動きが出てこないから、慶喜一人がわたわたして見えるけど、誰も経験したことのない状況で幕閣もいろんな意見があって、命がけで奮戦していたんだよね。それも見せてほしいけど、それはまた別のお話なんだね。

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慶喜だって、あの時は方便じゃなかったのにな…

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この辺りで幕閣いっぱい出してほしいのに。

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大蔵さん、三郎の前で本当の優しい顔に戻った…

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あのお飾りのようにおんまに乗せられてたのは誰なのか

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大蔵さん、すっかり顔つきが変わった

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やっと録画を観ました。
・奉納幟を用意する女性たち。戦の不安の中にも、みんなで集まって気持ちを同じくする一時に和やかな空気が流れる。そこで中野竹子の歌…。泣いちゃうでしょう、そりゃ。後々思い出すでしょ、このシーン。
・慶喜の装いがどんどん豪華になっていく。でも、お城の中で威勢を誇示しても敵には見えないし。
・徳川将軍で自分を取り囲む兵士の声に「殺される」って恐怖を感じたのは、初代、二代目以来じゃないのかなぁ。幕府内で謀殺される恐れはあったとしても。それも自軍の兵士に殺されるって思うなんて。自軍も押さえられない(と思う)状況なんて。
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