若松和三郎氏の『戦国三好氏と篠原長房』に書かれていた情報を元に、富田の教行寺兼詮の娘が篠原長房の元へと嫁いだ件を『石山本願寺日記』から確認しました。
蓮如の末子で証如の側近となり後に枚方の順興寺の住持を務めた実従の日記「私心記」より。
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永禄二年 六月八日
富田息女、阿波篠原所ヘヨメ入也。悉皆是ヨリサセラレ候。△福島マデ御送候。屋クラヘ行見物候。
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遡って天文三年の記事を見ると当時から野田・福島とセットで記載されていて、すでに大坂の海の玄関口として利用されていたようです。
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天文三年 七月二十八日
御斎、野田・福島ヨリ被申候。汁三菜十。
△日中、御式アリ、如常。○三宅稱願寺、被来。
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元亀元年に三好三人衆が野田・福島の城を改修して立て篭もりますが、それ以前から本願寺の寺内町だったのかも。
だとすると、信長が本願寺の挙兵に驚いて慌てたというのはあまりにも迂闊だと思いますが…。
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ここのところ赤松とか三好とか本願寺のことばかり書いてるので、たまには尼子ファンアピールしないと不安になるのです
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上月城で滅んだ勝久ではなく毛利に降った嫡流の義久の方は、慶長年間に長門へ移されて仏門に入り、家督は子がなかったため弟の倫久が継ぎ、倫久の子・元知の後は宍道氏からの養子孫三郎が継ぎ、旧姓佐々木氏に改めてこの一族が尼子氏研究の最重要史料「佐々木文書」を伝えました。
なお周布氏は石見益田氏の支流で大内→毛利と仕えた一族ですが、後年に尼子氏の冥福を祈って倫久の墓を建てているそうです。
「ちなみに」以下の方が長くて何が言いたいのかよく分かりませんが、要するに毛利の時代になっても、いや現代に至っても尼子の魂は不滅だということですよ!
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花燃ゆ
売り出し方からして気分が乗らないまま、見たり見なかったりという感じですが、予告に前原一誠が出てましたね。今回のドラマでは結構大きい扱いになるんでしょうか?
萩の乱には松下村塾の塾生が参加して、玉木文之進の養子・正誼(乃木希典の弟)は戦死、文之進も自決しています。
これをどう描いてくれるのかが一番の見どころだと思ってますが、今の路線だとあまり期待はできなさそう?
ちなみに前原氏は尼子晴久に仕えた米原綱寛の支流の末裔です。一誠は養子ですが、本姓の佐世氏も尼子氏の重臣・佐世清宗の末裔。
米原綱寛は富田城の開城前に毛利に降伏してま…[全文を見る]
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蒼天録は登場人物は少ないですが、初期のシナリオは明応年間から扱ってるのがいいんですよね。赤松政則&浦上則宗もギリギリ登場してます。
信長じゃねえだろってツッコミでもあったのか、後のシリーズでは信長以前はほとんど扱わなくなったようですが…(蒼天録のスタッフに戦国初期が好きな人でもいたんでしょうか)

細川政元は結構イメージに合ってるかも。

細川高国はなんだか強そうな顔。画像残してないけど、大内義興もこの頃はまだ凛々しい感じの顔でした。(最近のは公家メイクに…)

誰やねんきみ、って感じの細川氏綱。なんでこんな顔が採用されたのか、さっぱり…[全文を見る]
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2月のフォトライフ無料分が余ってたので、待機していた関ヶ原ウォーランド写真の残りを上げました。

ちょっと手つきがかわいい明石掃部

顔はオッサーン
でもまだ使いきれなかったので、昔「信長の野望」でスクリーンショット切り抜いて溜めてたやつを上げました。

蒼天録の尼子経久!キャーカッコイイ!!!
…[全文を見る]
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2/24に何か「利神城」でちょっと波が来ていたっぽい?と思ったら…これか!
神戸新聞NEXT|社会|第二の天空の城へ 佐用の「利神城跡」整備に着手
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201502/0007765407.shtml
>同町は15年度、史跡周辺の雑木伐採や、研究機関と連携した現状調査、案内板の整備などに着手。将来的に国史跡の指定を目指す。町は「長期的な取り組みが必要だが、まずは歴史的価値を広め、(史跡指定や観光地化の)機運を高めたい」とする。
僕も57億円手に入れたら着手しようと思ってたんですが、先を越されたようです。いやー、こ…[全文を見る]
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応仁元年(1467)時のだいたいの年齢順
山名宗全(62)、京極生観(61)、斎藤妙椿(57)、伊勢貞親(51)、武田信賢(47)、朝倉孝景(40)、吉川経基(40)、浦上則宗(39)、細川勝元(38)、一色義直(37)、山名是豊(多分このへん?)、斯波義敏(33)、足利義政(32)、畠山義就(31)、山名政豊(27)、足利義視(28)、畠山政長(26)、武田国信(26)、武田元綱(26)、斯波義廉(23)、大内政弘(22)、朝倉氏景(19)、六角高頼(?)、赤松政則(13)
現役世代は割とお年寄りが多いですが、孫世代まで入れるとメジャーな武士だけでもよりどりみどり。
ちなみに尼子経久や伊勢盛時(北条早雲)はまだ10歳、細川政…[全文を見る]
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煉瓦造りの建物。大阪城には、こういう時代ごとの建物が残っているのも面白いです。

どう見ても軍関連の施設ですが、現在は「大阪城公園城内詰所」となっています。
元々は西大番頭小屋といって、1年交代で大阪城本丸の警備を担当していた将軍直属部隊の宿所があったそうです。
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これは「残念石」といって、切り出されたまま石垣になることが叶わず放置されたもの。

小豆島にある黒田長政の石切丁場に残されていたものを運んできたようです。
残念石は各地に残されていますが、そういえば最近六甲山でも遺構が発見されてました。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201405/0006966352.shtml

これも元和の大阪城修築に由来するものですが、西宮にある越木岩神社に残された巨石の一部。備中松山藩の初代藩主を務めた池田備中守長幸の刻印だそうです。
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応仁・文明の乱を題材にした腐女子向けのゲーム出したら絶対うけるって、ずーっと考えてるんですが
今しがたふと閃いたタイトルは『おにんにんの乱』【怒られる】
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大阪城内も少しだけぶらっと。


本願寺の記念碑?
本願寺の前身となった坊舎は明応5年9月に建てられ、地名としての「大坂」の初見は明応7年11月21日付の蓮如上人の御文だそうです。
証如上人の時代の天文元年8月、法華一揆と手を結んだ細川晴元、六角定頼の軍勢によって山科本願寺が焼き討ちされたため、ここに居を移しました。

蓮如上人袈裟懸の松
「松の根のみが残り」云々とありましたが、代が変わってるのかな。
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あとこのシャッター絵、小沢華嶽「蝶々踊図巻」


これ特別展示室が閉まっている時だけ見られるようで、この出会いが一番の収穫だったかも。それくらい大ヒットでした。
検索してみたら、どうも天保10年、幕末頃の京都で流行したもので、動物や野菜の仮装をした男女が踊りながら紫野の今宮社を目指したとか。
これの他には、京都の細見美術館にも「蝶々踊り図屏風」があるようです。どちらでもいいけど、いつか実物を観てみたい…。
こちらで大阪歴史博物館のを模写されていますが、すごい楽しそう。
http://homepage3.nifty.com/sin-oomiya/imamiya01.html
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中世の展示は本願寺と大坂城が中心であまり充実してませんでしたが…

遺跡の分布図には榎並城跡伝承地、野田城跡伝承地も含まれていて、調査はされているみたい?
学習室もありましたが、時間が足りず過去の調査結果など確認することはできませんでした。
清文堂出版の『石山本願寺日記』という本願寺関係の日記の翻刻文を上下巻にまとめたやつがあったので、それ読んでて時間切れに…。
可笑しかったのが証如上人の書状案に、天文六年十一月十四日付で尼子伊予守(経久)、尼子民部少輔(詮久?)、尼子刑部少輔(国久?)に宛てて「御出張之事珍重…」などという書状を十二…[全文を見る]
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土曜は大阪城と合わせて大阪歴史博物館に行ってきたんですが、初めて常設展示を見てきました。

上町台地の北端に位置する坂の頂上が「大坂」で、大坂城の前身となった大坂本願寺のあった場所。古代にはちょうど博物館の建っている辺りに難波宮があったそうです。
地図上の赤い地名は津として栄えた場所で、緑の地名は本願寺の寺内町。
「渡辺津」は摂津源氏渡辺党の祖となった渡辺綱の母方の故郷で、全国の渡辺さんの発祥地です。現在の天満、近世以降「八軒家浜」と呼ばれた辺り。
こうして地図で見ると、三好氏が交通の要衝を抑えていたことが改めてよく分かります。

大…[全文を見る]
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【怒られる】
>1月下旬、以前交際していた女性が一部衣服を着けていない姿など、交際中に撮影した写真50枚以上を、商業施設駐車場でばらまいた。
靴下かたっぽ履くの忘れた姿とかそういうのですか?ひどいです
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リアルタイムで読んでてほんと打ち切りが悔しかったんですよね。
今でも忘れられないのが、これと「恐竜大紀行」です。
/ホリィ(新人)


