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ホリィ(新人)のことを語る
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自分だけが直言を避けられている可能性…。(ノ∀`)

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考えてみたら、数少ない友人はみな自分と同じように、あまり他人に直言しないタイプな気がします。そのせいか。

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どんな人だと言われたことがありますか
皆さんそんなに人柄について他人から色々と感想を言われていることに驚きます。
行為に対する感想ならあるでしょうけど、人柄について他人からどうだと言われるほど、他人と交わっていません。
どう言われても聞き流して忘れてるだけかも知れませんが。

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永禄から元亀年間の信長が掲げた「天下布武」は幕府再興と同義で他国侵略の意図はなかったとして、色々なことを再考しています。
まず元亀元年4月に行った朝倉攻めですが、若狭武田氏の重臣・武藤友益が悪逆を企てたとして討伐の上意を受け、幕府軍として総勢3万の軍勢で若狭へ出兵した後、突然矛先を転じて朝倉氏の重要拠点の一つ敦賀に侵攻したというものです。

通説では朝倉が上洛の要請を無視したことが理由とされていますが、谷口克広氏『信長と将軍義昭』によれば、前年8月の朝山日乗の書状から信長が以前から越前を目標と考えていたことや、信長からの上洛の触書に…[全文を見る]

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http://h.hatena.ne.jp/zushonos/81816402573716569
ずしょさんのこの投稿で「尾籠」という言葉を知りました

こちらのサイトによると…
https://kotobank.jp/word/尾籠-614321
>[名・形動]《「おこ(痴)」に当てた漢字「尾籠」を音読みしたもの》
>1 不潔であること。また、そのさま。「食事中、―な話になるが」
>2 わいせつであること。また、そのさま。

つまり「激おこぷんぷん丸」とか「おこだよ!」っていうのは

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修学旅行はどこ行った?
行き先が小・中・高で丸々かぶってる方がいました。
最近は関西の小学校でも修学旅行に伊勢へ行かないところが増えてるみたいですね。
信仰上の理由とか何とかで神宮避けるようになったら、そりゃそうなるよなという感じですが。

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その報告はしなくていいです
いただいた返信に☆付けようとした瞬間に返信元が展開され誤クリック、恥ずかしいお知らせを受け取ってしまいました

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この質問、たくさん聞きたいことを欲張りに凝縮させてたんです。

・長慶死後の三好政権が将軍義輝を殺害した理由
・長慶が健在であれば、義維や義栄の出番はあったのか
・他の大名(たとえば毛利氏や武田氏)が長慶を「天下人」として認めてこれに従う可能性はあったのか
・逆に信長のように足利家再興の大義を掲げて上洛する大名が出てきただろうか

天野先生の言う通り、すでに足利家の権威が地に落ちていたとすると、言わば成り上がり大名の三好氏による将軍殺害という大事件があったからこそ、幕府再興の大義名分が時宜を得ることになったと思うのです。
三好長慶が生…[全文を見る]

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三好の話になってきたのでこちらに繋げます。
この天野先生の講演中に、質疑応答の時間があったらぜひ先生の意見を聞きたいと思って、こんな質問を考えてました。

「もし三好長慶があと5年長く生きていたら、三好家は足利将軍家をどんな形で克服して、他の大名とはどういう関係を築いていたと思いますか?」

事前に考えていたのは、地元にある三好長逸が城主を務めたという飯岡城のことや、篠原長房の評価や松永久秀との関係だったんですが、主催が徳島県人会ということで、多くのお客さんはそこまで三好氏の細かいところに興味があるわけじゃなさそうだったので、この辺…[全文を見る]

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三好といえば天野先生はこないだの講演で、信長が全国統一を目指したのは最後の2年または7年と主張されていました。えらい開きがありますが何を契機としているのか。7年だと天正4年の義昭下向と安土入城、2年だと天正9年の京都馬揃えでしょうか。
三好長慶のことは足利将軍家を軍事的・政治的・精神的に克服して倒幕への道を開いた「信長の先生」と表現されてますし、当然ながら全国統一事業を開始してからの信長については、神田氏が提示された将軍に代わる調停者というイメージではないでしょう。

天野先生は自分がやっている三好氏の研究はまだ基礎の段階だと率直に述べ…[全文を見る]

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ちなみに谷口克広氏『信長と将軍義昭』では藤田達生氏が説く幕府の二重体制や「鞆幕府」と「安土幕府」の分立が懐疑的な論調で取り上げられていましたが、藤田氏は鞆幕府を評価する一方で信長政権のことも初めて全国統一を志向した政権と評価されているようで、興味深いです。

藤田達生『天下統一 - 信長と秀吉が成し遂げた「革命」』

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神田氏は「天下布武」を掲げる信長の登場以前、16世紀後半の幕府が衰微した時代に既に「天下人」の観念が存在していたのではないか、とも述べていて、おそらく幕府の併存という考え方は取らず、将軍義昭の…[全文を見る]

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関係ないですが、この画像探してフォトライフ遡ってたらこれを見つけて

なんか童貞こじらせたおっさんの末路みたいだなぁって思ってしまいました

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あなたの好きな悪態(出来れば日本語)
表に投稿する勇気はなかった(っていうかこれは悪態なのか)

この後、耳を塞いで「わーッ ふ 不浄なーッ」っていうのが好きです。
平田弘史「薩摩義士伝」より

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天正8年5月には信長の方から毛利へ和睦を打診していて、これを受けた恵瓊は厳島神社の棚守氏に宛てた書状で「第一日本に当家一味に候へば、太平になり行く事に候条、天下持たれ候上にての分別には尤もに候」と賛意を示すとともに、将軍義昭のことは信長側の使者の言葉を引き「西国の公方にさせられ候て然るべき由に候」と記しているそうで、交渉は不首尾に終わったものの、この時点で毛利方、少なくとも恵瓊自身には将軍の所在に関係なく信長を天下人として尊重する意志があったことが窺えます。

また、天正8年3月に北条氏の服属を認め、天正10年3月に朝廷工作により「東夷…[全文を見る]

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一章立てて書かれている「信長と宗教」は特に一向宗や延暦寺への姿勢など『宗教で読む戦国時代』とほぼ同様の主旨でした。
この本全体がそうですが、信長の天下人として調和を重んじる姿勢を強調されていて、安土宗論にも繋がる法華宗への嫌悪も、他宗への攻撃的な態度を問題としたものと説明されています。
よく言われるキリスト教への好意的な姿勢も、日本側の史料にはほとんど見られず、イエズス会が宣教師からの報告書を都合の良いように改竄した形跡も見られるとのことで、殊更キリスト教を特別に扱ったと考えるのは誤りのようです。

通説的な「信長の自己神格化」に…[全文を見る]