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ホリィ(新人)のことを語る
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アクセス解析

61%のYahooのうち…

21%が「伏見稲荷大社と稲荷山の歴史」、18%が「沙沙貴神社」。相変わらず謎の強さ…。

キーワードは結構ばらつきありますが、室津海駅館で来てくれるのは嬉しいですね。NHKのニュースで流れた影響でしょうか?
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なんかdisってるように見えますが、内容は一般向けとしては本当にちゃんとした本で、織田政権周辺をあまり知らない僕としては学ぶところが多かったです。
信長が上洛当初は幕府再興を目指していたという認識が間違ってないことも確認できましたし、永禄12年10月の北畠氏との講和が苦戦したはずの信長側に一方的に有利な内容になったのは義昭の働きかけによるもので、だからこそ信長は義昭を牽制するようになり、やがて元亀3年9月に十七ヶ条の意見書を突きつけることに繋がったという指摘も自分としては新鮮でした。
二人の間で幕府の主導権を巡るせめぎ合いがあったという認識自体、まだ一般には浸透していないと感じます。
色んな疑問やら掘り下げて調べたいことが湧いてくるのも、それだけ今の自分にとっては意味のある本だったということで…と、今更ながらフォローしておきます。
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http://h.hatena.ne.jp/k-holy/316617296866597503
ああっ、この○色の画像を投稿したい!!って思って 赤→黄色→青を繰り返す に行くとその色と次の色がかみ合わなくて、仕方なく過去の画像から適当に貼って進めておく、ということがありませんか?僕はしょっちゅうです。
そして、元々投稿したかった画像のことはすっかり忘れてしまうのです…。
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こちらは更にその後建てられた旧二条城の跡碑。


永禄12年正月5日に三好氏ら反幕府方が急襲した本圀寺の変を受けて、信長が義昭のために建てさせたというやつ。
二重の堀で囲まれた石垣造りの堅固な邸宅で、瓦には金箔を施した豪華なものだったとか。

斯波武衛家邸跡をすっかり覆う規模だったようです。
織田氏は元々越前・尾張・遠江三ヶ国の守護斯波氏の元で守護代を務めた家柄(信長が生まれた弾正忠家は更にその下の清洲大和守家の家臣)なので、そういう縁起も意識したのかもしれません。
元亀4年(天正元年)に義昭が槇島に挙兵した際、三淵藤英ら幕臣が立て籠もったものの、早々に降伏して後は徹底的に破壊、略奪されたそうです。
上洛の際には厳しい軍律を守らせた信長がこの時あえてそうしなかったのは、将軍義昭の凋落ぶりを都人に見せつける意図があったとも。
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民家の鍾馗さんの由来については特に調べたことがなかったんですが、「向かいの家の鬼瓦によって跳ね返された厄災を睨み返して避ける」という説があるそうです。
http://www.mbs.jp/kyoto/colum/sano_colum003.shtml
こんな面白いサイトもありました。
鍾馗博物館
http://www.ne.jp/asahi/yuhi/kite/index.html
この鍾馗の仲間たちも面白い…。
http://www.ne.jp/asahi/yuhi/kite/shoki/associates/associates1.html
淡交社から書籍も出てるんですね。ちょうど淡交社ビルの前も通ったので、見てくればよかった。(まあ、時間が足りなかったんですが)
鍾馗さんを探せ!!-京都の屋根のちいさな守り神-小沢-正樹
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勘解由小路室町、斯波武衛様のお屋敷跡。ここに立ち寄るために室町通りを歩きました。

武衛陣町!うおお!!さすがやで京都

応仁元年6月から7月にかけて、朝倉えーりん公が赤松・武田・京極勢相手に頑張った戦跡なのです。

その後足利義輝邸が建てられて、ここを三好勢が急襲したんだと。へーへーへー
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風呂敷屋さん

老舗っぽい
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今日はこれ行ってきました。大谷大学博物館「戦国武将と神仏」
関西文化の日で無料!へっへー


展示はほぼ借り物ですが、武田逍遥軒が信玄を不動明王に見立てて描いたという「鎧不動尊画像」や、秀吉死後に出した「加藤清正等二十二名連署血判起請文」とか観てきました。
意外なところで「朝倉英林壁書」(朝倉孝景条々)もありました。見せてるのは十六条「諸沙汰直奏之時、理非少も被枉ましく候…」だけでしたが。
大谷大学博物館の所蔵品が一つ、家康の「日課念仏」で「南無阿彌陀佛 南無阿彌陀佛…」と延々書き記されたやつなんですが、一ヶ所だけ「南無阿彌家康」と署名…[全文を見る]
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実は読んでるの二巡目なんですが、どうもこの本、「鞆幕府」の影響力を評価する論者に反論するために書かれたような感じ。
あとがきで「一次史料によって信長と将軍義昭との関係を探求する」ことが目標と書いてますが、それは目的ではなく手段のようです。
繰り返し述べられる結論は「義昭が京都を離れた時点で将軍の権威はほとんど失われていた」「信長包囲網は実現性のない義昭の妄想に過ぎなかった」です。
結局、信長が将軍の権威に拠らずにどう天下を統べようとしていたのかを明示しないまま死んじゃったので、織田政権の時点で幕府は死んでいたのかどうかという論争は…[全文を見る]
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よく確認しないままブログ村のアンケート作ったけど微妙だ…
ブログに貼り付けられるのかと思ったら無理だし、「アンケート掲示板」という名前通り、SNS機能の一部という位置づけなんですね。
これじゃ自分のブログ記事との連動が難しいです。
運営元に直接申請しないと削除できないみたいなので、とりあえずそのまま公開し続けますが…。
「応仁の乱」を大河ドラマ化するなら主人公は誰?
http://history.blogmura.com/board/vot/voting54_63741_0.html
人気ブログランキングの方はブログ側にも貼れるみたいなので、次はあっちで作ろうかな。
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一番気になったのは松永久秀の評価です。
はじめから足利義栄を擁立するつもりで義輝を殺害したとか、義昭は久秀を兄の仇として恨んでいたが信長の意向を汲んでやむなく受け入れたとか、根拠を明示せずに書かれていてどうなのかと。
(義昭は本圀寺の変を契機に三好義継&久秀の働きを認めたという認識かな?)
ただ、三好義継&久秀が反信長方に通じたのも、武田信玄が三河に侵攻したのも、実は義昭が挙兵に至る前だったというのは確かなようで。信長上洛時はともかく、この時点では久秀には義昭を擁立するつもりはなかったことになりますね。
あと、この辺りの経緯や信玄…[全文を見る]
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http://h.hatena.ne.jp/k-holy/228181263349440519
う、Windwos…前もブログのタイトルでやらかしてtwitterでRTされ恥ずかしい目にあってたなそういえば…
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実は買ってました。

信長上洛後の畿内諸将の動向など色々と勉強になる内容で面白いのですが、どうにも表現からにじみ出る信長贔屓が気になるというか…
他の研究者への批判の仕方も論拠が不明瞭に感じられて、ご本人の中ではちゃんと裏付けがあるのかもしれませんが、この本だけでは納得できないところが結構ありました。
細川政権期や三好政権期の幕府の実態を把握された上でのことなのかどうか。専門領域が違うと権威の捉え方も違ってくるということかもしれませんが。
でも、この方でも信長研究者の中では評判良いんですよね。実際、信長公記べったりでもなく、そんなに牽強付会という感じも受けません。
『信長の政略: 信長は中世をどこまで破壊したか』
先にこっちを読んで著者のスタンスとか理解しておいた方が読みやすかったかも。
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この中では特に「安芸の夜長の暇語り」が良いです。毛利氏関連記事が硬軟自在な感じですごく充実してます。
http://tororoduki.blog92.fc2.com/blog-entry-58.html#more
最近の記事「益田がぱねえ!「益田家文書と益田の歴史のDVD」感想」も面白い。益田市に行きたくなります。
http://tororoduki.blog92.fc2.com/blog-entry-611.html
しかし浜田ですら島根県の果てという感覚なのに、益田までくるともはや山口県という感じです。一泊二日では行ける気がしない…。
益田も神楽の盛んな地域だそうで、益田兼堯と雪舟、大内道頓の乱を扱った演目「益田越中守」や、長州の大軍を前に藩命を守って討死した浜田藩士岸静江と大村益次郎を題材にした演目「扇原」なんてのもあるそうで。
そういう地元の歴史が現代でも芸能文化として伝承されているのは羨ましい限り…。
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