今はもう、外食なんてめったにできなくなったおばあちゃんだけど、以前はふたりで食事するとき、血も繋がってないのに、父と同じことをしていたな。
好きなものを選べないの。
値段から逆引きするの。
そんなことしなくてよかったのに。
今の私より若くして病弱だった夫を亡くし、それでも残された土地で農業をして娘四人を育てた働きものの祖母。
自分にお金を使うことを申し訳なく思っちゃうんだよね。
だから、今は家に行くときには必ずなにかおばあちゃんにお土産のお菓子を持っていく。
なんでも喜んで食べてくれるのが嬉しい。
以前は「これは高かっただろうけど、あまりうまくはないな」などと鋭いことを言ってみせたりした。
はい、確かにそのパウンドケーキはひとつ200円しましたが、私もそれほどのもんとは思いませんでした…。
なんだろうね、この気持ち。
父はラーメンは好きだから、ラーメン屋だったのはいいんだ。
いつもなら自分から夕飯食べて帰るかって言い出すのに、いわないってことはお金がないんだよね。
甥の入学祝もきっと張り切って渡したんだろうし。
ささやかな農業収入は母ががっつり押さえ込んでいるので、これまたささやかな年金、その中で自炊している父。
月二回の通院には、後期高齢者になっても二万は軽くかかる。
公務員だから、そこそこのお金をもらっている弟に、様々な支払いや税金をスライドしていってもいいのに、それをよしとしない父。
もっと美味しいものを食べさせて…[全文を見る]
昔は食の細かった妹は細かった。
子供時代から、私をデブだテブだと笑った。
長じて「着られる服あるの?」とも。
婚姻中、誰一人友達のいない場所でひと付き合いも制限され、私は過食に走った。
そんな私を見る度に、妹はあれをやれこれをやれと、次々にダイエット情報が送られてきた。
こちらに帰ってきた時には過労でピーク時よりはかなり減少していた。
その後しばらく工場へアルバイトに行って働いたんだけど、女ばかりの実に陰湿な雰囲気と、10キロの段ボールを一日積み上げるようなきつい肉体労働で、すっかり消耗した。
私の体重が50キロを切りそうになった時、妹…[全文を見る]
今、心配なこと
妹が姪の体型についてやたらに口出ししている。
私にも「お願いだから食べさせないであげて」とメールが。
確かに以前に比べたらぽっちゃりとはしてきたけど、まだまだミニスカートはけるレベルよ。
妹の基準だと許せないレベルらしいけど。
確かに太っていると自信なくすし、おしゃれも楽しめない。
それは実感としてよーくわかる。
だけどさ、それを姪に続けたら摂食障害起こすよ。
私の摂食障害も妹は大きくからんでいるもん。
やめてあげては私が言いたい。
てか、すぐやめろ。
はい、妹にちょっと嫌なこと言われると過剰反応してしまう私。
気にするな気にするな。
血が繋がっているだけで、無条件に愛情が持てる訳じゃない。
持てなくても普通。悪いことじゃない。
誰だって自分の「好き」を否定されたら嫌じゃないか。
怒っていいよね、「身内だからこそ」なんて言葉信じない。
「私が恥ずかしいようなこと」でしょ、本当は。
でも私は父と祖母がいるうちはじっとしているよ。
ふたりのためにね。
しまった…
妹に渡した、私の加入している保険と「死んだら連絡してねリスト」を取り戻さねば。
もう絶対に連絡してほしくないひともいる。
あの生命保険はとっくに解約した。
あんなん使われたら、死後にまで罵られちゃうわ。
ついでに、新聞の志望広告厳禁。
葬式戒名不要、密葬で。
願わくば墓の中ではできるだけ母からは遠ざけて、おばあちゃんの近くに。
散骨希望なんだけど、あれもいろいろめんどくさそうだしな。
つかさ、私なんかにお金かけなくていいのよ。
さりげなく消えていきたいの。
薬飲まなくちゃ。
今夜はコブサラダ食べたから、ビタミン剤はなしでいいかな。
地元放送の無線が終わったとたん、また風が強くなった。
こんなことってあるんだ。
近くのお寺から鐘の音が聞こえる。
急に曇って強風になってきました。
関連付けはしたくないけれど、そういうこともあるのかもしれない。
群馬にいたとき、50号を通ってよく茨城に魚を食べに行ったり、ドライブに行ったりしたんだ。
いわきには元夫の友人で、私も大好きだった子がいて、何度も遊びに行ってスパリゾートも何度も行ったし、海水浴の帰りには海の近くだった自宅にお邪魔したこともあった。
もう連絡先もわからないけれど。
あの、いつも笑ってた、日に焼けた元野球少年はきっと元気に生きてると思いたい。
私は見るよ。
後悔するかもしれないけど。
どうなったか、どうなっていないかを確認できる機会のひとつと捉えるつもり。
時間には市の防災放送。
菫で思い出したこと。
高二がいちばんきつかった。
選択授業はないから常に同じ顔ぶれ。
無視は連鎖的に広がっていき、私の隣には空き机が置かれていた。
登校しても一日誰とも口をきかず、お昼はひとり部室で食べていた。
学校まで行っても教室に入れないことも度々だった。
辞めてしまいたいと思うこともよくあったけど、辞めていった同級生は見るからにヤンキーばかりで、同じに思われたくなかった。また、私が辞めることでクラスメイトを喜ばせたくなかった。
大学にも行きたかった。こんなのを学生生活の最後にしたくなかった。
だけど、卒業まではとほうもない長さ…[全文を見る]
お風呂入ってくる。
黒い自分を流さねばならんのだ。
私、アルマゲドンやディープインパクト、日本沈没や2012みたいな、天変地異パニック映画が好きだったんだよね…。
SFX(今はVFXって言うんだっけ?)駆使した、大掛かりなやつ。
旧作では日本は沈没したけれど、新作の日本沈没は被害甚大にしろ、沈没は免れた。
どの映画も、主人公は生き残り希望を見いだす。
今はもう駄目。
そういうパニック映画は、実況中継されてしまった東日本地震の映像と重なってしまって、まるで見られなくなった。
映画は作り物、でも起きたことは現実なんだって思い知らされるから。
もともと映画の好みにはかなり偏りがあるんで、世界が狭まっち…[全文を見る]
長野県在住でこんなこと書いたら怒られそうだけど、やはり3月11日はトラウマになってる。
ここしばらく、毎晩地震の夢を見る。
東日本地震から日付が変わった朝方、緊急地震速報と同時にまた揺れ。
長野県北部地震発生。
なにが起きているのかわからず、得体の知れない生まれて初めての恐怖だった。
それまでも震度1でも飛び上がるくらい地震は怖かったけれど、あれから一年たっても、電気を消した部屋では眠れない。
私は、当時の私がいとおしい
その頃は、「普通」になれない自分が大嫌い立ったけれど、今は「よく頑張ったね」と誉めてあげたい。
へりくだることも迎合することもなく、いつも嘲われて無視されても、平気な顔をしてひとりでいたじゃないか。
ひとりで安心できる場所ってだけで、嬉しかったよ
でも、なーんにもない、思い出もない、行って帰っただけの修学旅行だった。
高校を卒業した後、もういちどやり直さなければ…と、年上の友達とふたり、広島に行った。
やっと、いろいろなものが見えて、聞こえた気がした。
ただ、広島から高校の担任に、「修学旅行をやり直したくて広島に来ています」と絵はがきを出したのは、内容的に本当に失礼だった。
ごめんね、先生。
今は全部浄化されちゃったよ。
さて、酔っぱらいの年よりは今夜もくどくどと思出話をしてみる
小学校の修学旅行はゆうべ書いたんだよな(だれも続きなんか期待してないて!)
中学は京都奈良だった。
いまと違って、タクシーで観光コース回るなんて許されず、せいぜい、場所場所で班で回るくらい。
特に仲良しがいたわけではないけど、平和だった。
人生の暗黒期、高校の修学旅行。
前の晩まで仮病で休もうと思っていたのに、ついうっかりと行けば楽しいことあるかも…なんて思って出掛けた私がバカだったのよ。
京都広島三泊四日、口をきいた記憶なし。
行きの京都へ向かうバスの中で、持参のお弁当を食…[全文を見る]