酔わないなぁ…と飲んでたわけです。
酔いに時差があるのを忘れていたよ…
うわあああん…
/ゆき
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酔わないなぁ…と飲んでたわけです。
酔いに時差があるのを忘れていたよ…
うわあああん…
長野県民の八割が、被災地(福島を除く)の瓦礫受け入れに賛成とか。
ちょっと嬉しく感じたニュース。
福島を除くってのが、ひっかかるんだけどさ。
これももう10年も前の話になるけれど、新聞屋さんにもらったチケットで、平日の東京ドームにて日ハムの試合を見ていた晩。
平日だったし、人気カードでもなく、場内は半分空席で、私たちはビールを飲んでくつろいでいた。
当日、上田はスタメンではなかったんだけど、すぐ近くにいた小学校の団体は、交代がある度に先生が主になって、上田コールを繰り返していた。
五回の裏の交代のアナウンスで「本日は○○県××小学校、△△県□□中学校の皆様が来場なさっています」って言うんだけど、それで合点。
長野県松本市のその小学校は上田選手の出身校だったのね。
八回の交代で見事上田は登板してきて、子供も喜んだけどなにより先生が大喜びしていて、日ハムも粋なことするじゃんか…と思いながら、その日ちょっと日ハムが好きになった。
私のふたつ下の妹の修学旅行ではメインが後楽園になり、弟の時代にはディズニーランドになった。
二十歳くらいの頃、初めて男と行ったディズニーランドで、スペースマウンテンの順番を待っていると、真後ろに名札をつけた小学生がいた。
あぁ、まだ修学旅行に名札をつける学校があるんだ…と懐かしく思いながら、ふと見ると、まさにそれは自分の通った小学校の名札。
思わず名前を見ると、その姓には見覚えが。
「○○(屋号)の子?」と聞くと「うん!」て。
あぁ、これ以上話しかけては自分の身元がばれてしまう!と口を拭った私。
山口は光の武田薬品の友達を訪ねたんだった。
新幹線を広島で降り、山陽本線で光まで。
3月の山口は暖かく、初めて見る瀬戸内海は穏やかで、いつまでもいつまでも海を見ながらボックス席に乗っていたかった。
当時は光駅前にはホテルなんかなく、駅前の旅館に泊まったのだけど、興奮してかまったく眠れず、窓からずっとホームを見ていた。
なぜか、真夜中なのに中島みゆきの「臨月」が駅に小さく流れていて、合わせて歌っていた。
今でも「臨月」を聞くと興奮と不安で眠れなかったあの晩の暖かな夜を思い出す。
長らくひとりでは都内のどこにも行けず、いつも友達に案内してもらっていたのだけど、なぜか16歳で名古屋や大阪、山口には、バスと新幹線を使ってひとりで出掛けていたのだった。
もちろん初めての地。
いかに東京が恍惚と不安の場所であったかというお話。
今はもうないのかな。広島駅前のダイエーの化粧品コーナーのお姉さんが「ひとりで長野から来たの?」と驚きながらも、化粧水と乳液のサンプルをたくさんくれて、それがとても嬉しかった春休み。
あぁ、ちょうど今ごろだ。
高校の卒業式をサボって3月5日から2泊3日で出掛けたんだもの。
小6の修学旅行から次の上京は、6年後だった。
大学一年の時、武道館のコンサートに行くと言う同級生に誘われて。
友達は電車で上京し、私はバスで向かい、待ち合わせは上野駅の到着ホームだった。
コンサートが終わった後、都内で専門校に通っていた高校時代のバイト仲間の家に泊まることになっていたんだけど、右も左もわからない私は、彼女に九段下の駅まで迎えに来てもらって、彼女の住む世田谷まで行った。
その後学生時代は何度も彼女を訪ねたけれど、新宿のバスターミナルから小田急を使い世田谷代田の彼女の部屋をひとりで訪ねられるようになったのは、10回ほどしてからだった。
新宿駅って、私には魔境のようだった。
また、地下鉄は路線ごとに切符を買うものだと思っていて、乗り換えごとに切符を買い直したのもこの頃。
翌日は上野動物園に皇居、東京タワーを見て帰途についた。
当時、第一次スーパーカーブームで、至るところでカウンタックやフェラーリ、ランボルギーニを見て、男子たちは興奮していた。
私はそんな何百万もする車が普通に走る東京って、ふつうのひとは住んだり行っちゃいけない場所のような気がした。
だから、高校の同級生が遊びに行ったって聞いて、そんな怖いとこに行くなんて…なんて感じたんだ。
小学校の修学旅行は東京で、初日は羽田空港横浜、交通博物館に行った気がする。
泊まったのは本郷の旅館だった。
今ごろの時期には受験生を受け入れていたようなとこだと思う。
和室に五六人ずつ泊まったんだけど、部屋にあった鏡台の引き出しの中に、この旅館の女中さんは(原文ママ)…と大人の落書きがされていた。
翌朝旅館の前でバスを待ちながら、講談社はどこにあるんだろう…ってきょろきょろしていた。
クリームを塗ったような白い外壁にアーチをえかいたアイアンの入ったベランダのマンションを見て、なんて都会なんだろう…って思ってた。
東京って、みんなファッション雑誌から抜け出したような滑降している場所だと思ってた。
高校時代、同級生たちが夏休みに新宿にホテルを取って遊びに行ったと聞いて、腰が抜けるくらい驚いた。
それも歌舞伎町だって言うんだもん。
歌舞伎町になんか行ったら、売り飛ばされると思っていたよ。
それから20年余してその同級生は一度も地元を離れることなく生活し、私は離れることはないだろうと思っていた地元を離れ、月に二回ほど新宿に遊び出る生活をすることになった。
夜の歌舞伎町?
騒がしいわね…ってな感じ。
今は遠い場所になってしまったけど。
今日の残念
無事高校入試も終わった姪に、遊ぼうとメールしたら遊ぶ遊ぶ!と返事が来たんで、プリクラ撮りたい!と言ったところ、嫌だと却下されました。
やってみたいんだよ、最新のプリクラ…。
かくなる上は、あの方と…。
いかがでしょうか、金髪の御方。
しまった!
今日も郵便を出し忘れた…
もー、会社の集荷に混ぜちゃおうかな。
切手貼ってあるんだからいいよね?
姪から届いたメール。
うん、頑張っておいで!
>がんばってきます
こんな書き方すると自分褒めしてるみたいだけど、そういうわけじゃなく。
姪は私にそっくり。
生んだ妹より私に似てる。
生まれたって連絡が来て病院に行ったら、小さくて細い猿のような赤ん坊がいた。
二ヶ月後、母が笑いをこらえながら電話を寄越す。
「お前にそっくりになっちゃった」
また見に行ってみたら、体重が倍増した丸々とした姪がそこにいた。
おっぱいを飲むことに興味がないようなそぶりを見せていた甥と違って(うちの妹もそうだったらしいが)、私と同じく(母談)とにかくよく飲みよく食べた。
甥は初めは私にはなつかず、ふと部屋に二人になっていることに…[全文を見る]
みんな鋭いことを思い付くなすげえ!と感心しながら、ぼんやりの頭で鎮痛剤を飲む。
こんばんはだか、おはようだかわかりませんが、覚醒しちゃいました。
雨の音が激しいね。
自分へ
食べたいものを食べるのはいいのですが、ハイクの投稿ネタのために食べてはいけませんよ。
たとえどんなに、期間限定ミスドが可愛くてもです。
その時姐は、生まれて初めて、他者からのものでない命の危険を感じたのだった。
(田口トモロウの声で再生してね)
自分が救急車乗った時は、あっという間に乗り込んで動き出しような記憶があるんだよねぇ。
一度は過呼吸人生一回目。
あまりの苦しさに、嫌がる元夫をせっついて呼ばせた。
二度目は深夜の胃けいれん。やつは飲みに出ていて留守だった。
転げ回りながら自力で呼び、運んでもらったわ。
「連絡先は?」の問いに「あるけど出ないですよ、たぶん」と答えた情けなさ。
飲みに出たら絶対に私からの電話には出ない男だった。
同じく高熱の私を残して飲みに出ていた晩、体温計が42度を表示したの見て、こりゃあかん…と救急病院に行こうと思い立つも、どこが受け入れてくれるのかわ…[全文を見る]