お金を把握したいけれど、さんすうLDだから家計簿つけるのがものすごく苦痛だった。
さんすう得意なもちおがやればいいじゃん! ということになったけど、
もちおは家計簿つけるに至らず、レシートコレクターに終わった。
去年家計簿をなくしてしまって、今年は開き直って家計簿をつけなかった。
もちお、大喜び。やいやい言われないので晴れ晴れしていた。
わたしはずっと不安だったけれど、もちおが大丈夫というんだから大丈夫かな、と思った。
わたしは心配性の貧乏性で数字に弱いから、6千円使うと一万円減ったような感覚でいる。
そうか、なんかもう支払いきれないくらいお金使った気でいたけど、大丈夫なのか。
大丈夫じゃなかった。家計簿は役立っていたということが判明してよかったね。
振り込みのお金が足りなくて、祖父からもらったお餞別を断腸の思いで振り込みに使った。
いや、断腸というほどじゃなかったけど、抜毛の思いくらいではあった。
気になってること
・増えていくお誕生日イラストを描く
・まめこまめさんにいただいたストールをハイクで見せびらかす
会社からメールきた。怒られなかった。
2、3実際的なアドバイスをいただいた。
今後に活かしていこう。←ポジティブワード
[さっき知ったこと]
お仕事の依頼が数時間前にあったのに気付いていなかった。
お客さん怒ってる。
PCも閉じた家中しーんとした時間だったのにどうして気付かなかったんだろう。
風邪か。
まあでもはてこはちっさいころからお年玉もらうと
「これをどこに隠そう?」
と考えて、額縁の裏とか人形の服の中とかあちこちに千円札や五百円札をしまいこんではときどき出して眺める子だったから、使うより貯める方がすきかもな。
貯金箱もいくつも持っていて、小銭の種類でわけていたのだった。
弟はまたもっと実践的で、おやつ買ってきていいよ、とたまにお小遣いをもらうと台所でおにぎりを作って貯金して、レゴブロックをばーん!と買ったりしていた。
兄と妹はもらい上手であるとじゃんじゃん使う。なくてもほしがる。
だからお弁当作れるときはすごく気分が楽だ。
お弁当作って朝ご飯食べないもちおにケーキとゆで卵持たせてたときは本当によかった。
もちおも家計も潤っていい循環だった。あー。早く肥んないかな。
実家にいたころのもちおは仮に給料を全額家に入れてしまったとしても
それで生活に困ることはなかった。
手元のお金で買える限りのものを買って家族にあげてよかった。
だって生活費はお父さまの稼ぎを中心に回っていたから。
いまは生活費の支払先がだいたい固定されているから
それ以外のびっくりプレゼントを用意するということは、
固定費の支払いが滞るということなんだよね。
気持ちはうれしいけど頭は痛い。
もちおは家族・親族のためにお金使うのだいすき。
自分のために使うよりそっちの方にお金かける方が誇らしいみたい。
なので実家にいたときはバイト代も給料もじゃんじゃん家に入れた。
わたしは「はてこさんすきだから買ってきてあげたよ」と言われても、
家計から捻出する羽目になると戦々恐々とする。
「これ買ったらあれとかこれとか支払いどうするんだYO!」ってなる。
かといってもちおの小遣いから買ってきても、
「これ買ったらおまえの昼食代はどうするんだYO!」ってなる。
鶴の恩返しみたいな実の削り方でお金貯められても心配だ。
おにぎりお弁当作って貯めてくれないかな。
工事がたがたとかそういうご飯が食べられないときに、
ふといまアレなら食べられる、という時がくることがある。
だいたい高価なもの。それも夜中の変な時間に。
「よし! すぐに食べに行こう!」「薬だと思って!」
ってなるんだけど、おまえはふつうにご飯食べただろ。
どうしてでっかいパフェ喰ってるんだ。
と思うわたしは守銭奴でしょうか。
もちおはこういうとき
「うん、ぼくにまかせて!」
的な勢いでパンやジュースやスイーツを買いに飛び出していくんだけど、
家にある常備菜でご飯にしてほしいなあ...(´・ω・`)
「お金の心配なんかしちゃだめだよ! いまは身体を治すことさいゆうせん!」
こういう姿勢は家計が別の時は助かるけど、一緒だと結局首が絞まる。
「眠れるときに少しでもゆっくり寝ててね。ぼくはチョコ食べておくよ!」
みたいなのもやめてくんないかな。
...やめないだろうな。
だるいはだるいけど、
「お腹空いたからご飯温めて納豆と梅干しとのりとちりめんで食べよう」
と思って作れたり食べられたりするんだからだいぶ元気だ。
「熱を出すだけの体力がついてきたということだ」と好転反応的解釈をするライフハック。
ほんでまあノートPCとプリンター持ち込んでベッドで仕事してる。いい仕事だなおい。
こんなにちんたら暮していながらほんとに申し訳ないと思うけど風邪を引いた。
それでもやっぱり戻れるのなら家に帰りたいと思うよ。
両親と兄弟妹がいて、犬がいる家に、祖父母がいる家に。
こういうことを考えていると、心底腹立たしいような人であっても
どこかの誰かにとってかけがえのない子どもだったんだろうから
その子が幸せであるように願っている誰かのためにも
目の前の馬鹿が無闇に酷い目に遭えばいいと思わなくなるので
やっぱり大人になるのはいいですね。
「無事に大きくなって学校通ってるな、本当によかった」
といううれしい気持ちと、
「ああどんどん大きくなってあの子どもは大人になってしまうんだな」
という寂しい気持ちがある。
わたしもおばさんになったんだな。