そしたら、お金なかったら結婚して共働きして夫婦二人で一生終えるしかないよね。
それを周囲に責められるいわれはまったくないよな。
お話しするにはログインしてください。
くたびれ はてこのことを語る
くたびれ はてこのことを語る
子ども一人育てるのにかかる費用はこれだけ、という数字を見るたび圧倒される。
だけど、現実的に、親はわたしにそんなにお金をかけていない。いなくなったからだけど。
お金が用意出来ないところに子どもを持つのは悪いことなのかな。
くたびれ はてこのことを語る
でも現状は思うだけ。継続して支援できるのか、とかあれこれ考えて何もしていない。
「親のハードルを上げることが子どもを持つことを難しくしている」と数日考えて、こういうことも同じかもしれないと思った。
わたしは立派な支援をすべきだ、やるなら美容費や趣味のお金はそこにつぎ込むべきだと考えているところがある。
だから出来ないんだな。そんな日が来るのを待ってる間にわたしは死ぬと思う。
「生きている犬は死んだライオンよりましである」という伝道の書の言葉を思い出した。
くたびれ はてこのことを語る
黒柳徹子が毎年クイズの賞金やバザーに出した衣装のお金を寄付している家がある。
憩いの家
http://fukushinoie.blog70.fc2.com/
義務教育を終えた保護者のいない子どもたちが働きながら身を寄せ合って暮らしている家。
日本は豊かだ、食べていけるというけれど、わたしは十代で行き場がない、保護者になってくれる人がいないことの不自由さ、過酷さが少しわかる。
交通遺児のみなさんが街頭募金を募っていると、そこを素通りして「社会は見向きもしないものだ」と思わせることに責任を感じる。
海外に寄付をして学校を建て、子どもを育てる気持ちが、いくらかでも、国内の身近な子どもにも向けられたらと思う。
くたびれ はてこのことを語る
制度を細かくしていっても、それが守られる保証はないし、書いてなかった方法で問題は必ず起きる。だから多くの人の目が入ることと、条文にこだわらず原則に照らして判断することが必要だと思う。違法ではない違法ではないと法律を良心の代わりにする人がどれほど多いことか。
くたびれ はてこのことを語る
「授業中誰かがモノを落としても拾ってはいけない。誰かが拾ってくれると思ってまた落とすようになる」と言ってた小1のときの担任を思い出した。
くたびれ はてこのことを語る
個々を重んじる気持ちがあれば全体主義もけして悪く無いと思うんですよ。人の家の子もうちの子もみんなの子的な。私は個人主義は隣人愛とセットにならないと社会が成り立たないだろうと思っているのですが、表面的な個人主義だけ真似ると情けは人の為ならず文化が廃れてしまいますね。
くたびれ はてこのことを語る
「『草臥さんのお弁当、いつも美味しそうですね』って言われたよ」
「『今日も美味しそうですね』って言われたよ」
↑この人がいまわたしのモチベーションを上げている。
くたびれ はてこのことを語る
援助交際という名で少女売春が騒がれるのは、どこかにある少女売春組織の市場取引価格が暴落するからかもな。
ソープランドもデリヘルも取り締まられず、ポン引きやちょんの間が取り締まられるのと同じように。
くたびれ はてこのことを語る
ヨーロッパのお伽話では美人の描写によく「丈高く」というのが出てくるのに対して、日本を含むアジアのお話では美人は「小さな手」「小さな足」をしている。あちらのお話ばかり読んで大きくなってよかったなと思う次第です。
「低い声」というのも美人の特徴の一つになっている点も見過ごせません。
くたびれ はてこのことを語る
率先してやっていいこと、自慢することでもないけど、社会的には褒められるべきこと、という認識だと感じます。見知らぬ人のベビーカーを階段で運んであげるような。日本だと「怪我させたらどうするの」って感じ。
くたびれ はてこのことを語る
ボランティア活動はお金持ちのたしなみのようですが、養子を引き取るというのもその一環なのでしょうか。子ども欲しかったら養子を貰えばいいと単純に考えていたのですが、調べたら法的なハードルも、親族家族の複雑な心情もあって、日本は養子がもらいにくい環境なのだと痛感しました。それにしても、映画の感想を読んで「養子をもらうなんて」と批難されるほどかと驚きました。子育て自体社会に求められるハードルが高いのかもしれないですね。
くたびれ はてこのことを語る
いじわるな継母から見た白雪姫の話かな、と思った。
くたびれ はてこのことを語る
「ちゃんと育てられるの?」「もういるじゃない、もっと必要なの?」「最後まで面倒を見られるの?」
ペット感覚なのかなあ。
くたびれ はてこのことを語る
「障害者は本来天塩にかけて優遇されるべき存在」という認識の人は、障害を持っていると自称する自分とあまりかわらないように見える人をそねむだろう。また、自分に何らかの障害がありそうだと思ったらそれを周囲に強調するだろう。優遇されないことに不満も持つだろう。そして、生活に不自由を感じることのある自分が優遇されないのに、障害を持つ人間”ばかり”優遇されるとは不公平だ、待遇を公平にすべきだと言うだろう。
障害があろうとなかろうと、社会生活を送りやすくするよう各自工夫し、共同するというのがほんとのところだと思う。
くたびれ はてこのことを語る
障害を持つ子どもがいるのに養子をもらうなんてどういう神経だ」というコメントが、ちょっとびっくりするぐらいあった。経済的・体力的な余裕のある家庭が、施設から養子をもらうことのどこに問題が?
中には「障害をもつ子どもはふつうの子の何倍も目も手もかけてあげるべき存在」とまで書いてあるブログもあった。こういう考え方をする人のほうが、現実には障害者にあまり手を貸さないのではないかと思う。
障害という言葉を、何か決定的な勘違いをしていると思う。
恐ろしい天才的な美少女に人気が出るかと思いきや、障害がある幼く無力な子ども子どもした妹役の人気がものすごくて驚いた。その雰囲気に正直ちょっと引いた。
くたびれ はてこのことを語る
「子どもがいるのに親がさほど見つからないように気を付けている風もなく大胆にセックスしてるが、あれはなんだ」というコメントが多かったのも、フランスやアメリカでは違う反応だろうなと思った。”円満に行っている夫婦は語り合い、愛しあい、セックスする”という前提があれば、家の中でセックスする夫婦は衝撃的な存在ではない。
「子どもにセックスを見せつけるべきではない」。それは大人でも同じだ。人のセックスなんか無理に見せられたらショックを受ける。でも子どもが勝手にのぞいてるというのは事情がだいぶ違う。子どもはふつうそんなことを好まない。そこが怖いところなのだと思う。あの場面でも受け取り方が分かれるだろうと思った。
くたびれ はてこのことを語る
かわいいおばけ”キャスパー”がアニメ顔だったのもきっとそのせいだ。
大人にならない子どもは、どんなに大人しく好意的でも、西洋では恐ろしい存在なのだと思う。
”シャイニング”の子どもの幽霊とか。
くたびれ はてこのことを語る
平和な家庭で幼い少女が娼婦のように男を誘ってくるという場面をどう感じるか。
平常運転ではないという普遍的な怖さがそこにはある。
しかしその先に感じる恐ろしさは、文化的背景に強く訴えるものだと思った。
あの映画を見終わったあと、違う文化を持った人同士がどんな会話をするかを考えると興味深い。
一部の日本人男性は、「騙された」と言うだろう。
欧米の文化を持つ人々ももちろん「まさかあんなこととは思わなかった」と言うだろう。
でも、「騙された」という言葉が何を意味しているか、欧米の人々の大半はわからないとおもう。
そして日本人女性の大半は、彼らが何をさして「騙された」と言っているのかよく理解できる。
特にインターネットをよく利用する人なら。
くたびれ はてこのことを語る
小児性愛者、小児性愛行為に至る人がどのくらいいるかによらず、小児性愛を公に強く嫌悪する土壌が欧米にはある。
日本は近代に入ってその考えを輸入したものの、背景はまったく違うので、未成年者を性愛の対象にすることは「誰しも思う自然な感情ではあるが、現代的でない」という程度の認識が強いように思う。「自然な感情を抑制しえなかったことが間違い」という感じ。
歴史的に国をあげて公の売春文化を築いていたという背景があるからこそ、日本の風俗産業はあれだけ高度に発展している。売春婦は蔑まれこそすれ、公に売春の文化を持つことを恥じていると口にすることは推奨されないし、売春についての話題は明るい。AVがアイドル産業と密接に結びついて華やかなのも、そういう背景があるからだと思う。
/くたびれ はてこ