パソコン買ったばかりで使い方がよく分からない人に、パソコン持ってない人が
「そんなの簡単」「本当はこうする」
なんて言ったら滑稽だし、迷惑でしょ?
たぶん着物とか着付けに詳しいってインテリ属性になるから、そこで話したくなるんだろうな。着て暮すための服なのに。資産だと思っている人も多い。消耗品なのに。
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くたびれ はてこのことを語る
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だからこういう着物を自分で着ないしよく知らないけど、若い子の着物には
「昔はこうだった」「本当はこうするもの」
とよく知らないで批判的に言う人を見ると、正直むらむらと怒りが沸く。
自分が入らないだけでなく、人が入る道を閉ざす者だからである。
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「昔はこうだった」と言う人に会うととても期待するんだけど、そのうちの何割かは自称昔通で、実際に昔を知っているわけじゃない。これも期待はずれでがっかりする。
「こうだったと聞いた」「こうだったらしい」と正確に話してくれたらこっちもその覚悟で聞くのに。
よく着物を着ていても、着付けてもらっている人はやっぱり話が通じないことが多い。
楽で崩れない着付けについて着付け師さんがどう工夫しているかを知らない。
なんでも分かる範囲で教えてくれる女装着物道楽な人がいるけど、この人は
「いつも着付けはお願いしているからわからない」と正直に答えてくれた。
やっぱりいちばん話が通じるのは現役で日常的に着物を着ている人。
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着物着始めたばかりのころ、数々の疑問や悩みのあれこれを話すと
「ああ、そんなのこうすれば簡単」「昔はこうだった」
と話す人が大勢いて、でも実際にやってみると理にかなっていないことが多かった。
そういう場合さらに詳しく聞くと、本で読んだだけ、どこかで聞いた話で、話をしてくれた本人は、自分では着物を着ていない。
こういうことはどうかすると呉服屋さんでもある。
わたしはこのことに心から辟易としている。
役に立たないだけでなく、本当に着てる人の頭を無駄に悩ませるから。
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関西では有名なお話なんですね。そういえばこの本の著者は奈良の方です。
月経中でなくとも下着がないとおりものなど汚れて困る気がしますが、当時の女性は月経すらコントロールできたというすごい説もあって、それはちょっと江戸女性の肉体を買いかぶりすぎじゃないか?!と思います。謎は深まるばかりです。
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実際に亡くなった女性の中で着物を押さえて墜落した人はいなかったんだって。
だけどこのニュースを新聞で読んだ女の人たち怖かっただろうな。
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T字帯について書かれた本を読み返してみたのですが、探している箇所がみつからず、かわりに着物の下にズロースをはくようになったのは大正の終わりで、それが全国的に広がったのは昭和7年日本橋「白木屋」の火事だと書いてありました。
検索してみたところ、下着を着けていなかった女性は炎に煽られ着物を押さえようとしたとたん、ロープから手を離して落下してしまったのだそうです。
「女性に警鐘、生死を分けた下ばきの有無」12月28日都新聞朝刊
かわいいステテコやズロースって冬場温かいけど、こんな背景があったとは。
くたびれ はてこのことを語る
これは貴重な画像ですねwww
全力で保存しました。
>サラシをするするする~っと色っぽく脱ぎ捨てる技
うん、たぶんサラシじゃ台無しな気がするw
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ハレの日の着物が中心になってどんどん補正が入っているんですよね。
腰紐が見えていいなら身丈の短い着物の腰の位置に紐を締めてちょうどよかっただろうとわたしも思います。
>女性がパンティーを履くようになったからかなぁ
大正・昭和の女性も月のものの手当にT字帯を使っていたそうですが、脱脂綿の取り替えのたびに脱いだりはしなかったでしょうね。
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この人が吉原の人だということは否定してないわ。
ただわたしは部屋に帰って部屋着に着替えたところだと思うだけ。
>当然ながら襦袢に紐を締めて着ていたでしょう。
>内側をしっかり結ぶ
ぶりさんのことよく知らないんだけど、女物の着物を着たり脱いだりするところを見たことなくて、イメージしづらいんじゃないかな。
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伊達締めは博多織だけれど、お太鼓と直接関係ないわよ。お太鼓は深川の芸者さんが始めたことだし。
それからやっぱりあれは襦袢じゃないと思うわ。じゃあね、おやすみなさい。
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さんざん見返したけれど、これやっぱり着物だと思うわ。
下に着ているのは襦袢と紅絹の腰巻きで、襦袢には半襟をつけている。
仕事から帰って着物を着替えたところでしょうね。
上半身は下に肌襦袢を着ていると思うけれど、それは見えなくて当然だもの。
高価な紋付の着物と、継ぎ接ぎの当たった普段着を比較して見せているのだと思うわよ。
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速度じゃないのよ。内訳が知りたいの。
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伊達締めと書いたのはね、襦袢の前なり着物の前なりを何かで押さえる必要があるでしょ。紐なり帯なりで。
そうしないと着物を着る前に中で襦袢だけ崩れてはだけてしまうもの。
だからこれが襦袢だとしたら、着物を上に着る前に一度何かで押さえないといけないけど、胸やお腹を紐で押さえるのはかなり苦しいでしょ。
この方、胸をかなり開けて着てるけれど、これじゃ表に行けないじゃない。
それこそ紋付を着るときは襦袢を整えてから着物を着ていたと思うけど、じゃあどうやって押さえていたんだろうね。
帯枕や帯揚げは分かるけど、伊達締めとお太鼓って関係ないように思うんだけれど、何か関係があるの?
柔らかい兵児帯をするとしても、伊達締めって必要よね。わたしはコーリンベルトを使うことが多いけど。
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知りたいのは庶民が生活の中でどうやって着物を着て、どうやって脱いでいたかなんだよね。
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でも腰紐を腰より上にあげて締めると、ものすごく苦しい。本当にじわじわと具合が悪くなる。
背に腹は替えられないので、ゴム入りの腰紐を買うまでずっと腰紐は下の方で締めてどうにかならないかと悩んでいた。
ゴムも気を付けないと苦しくなるんだけど。
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腰紐を上に上に締めるようになったのは、お引き摺りをする必要がまったくなくなってしまったからだと思う。
引きずって着る時間より端折って着る時間が長くなって、おはしょりを落ち着かせようという流れ。
腰に紐を締め、おはしょりを少しだけ出すと、おはしょりはうまく平らに寝ない。
身丈がたっぷりあって、畳む部分が多ければおはしょりはうまく落ち着く。
だから勢い上の方に紐を締めて、おはしょりが折りたたまれて落ち着くようにするのだと思う。
腰に紐をすると確かに楽なんだけれど、身丈が普通かそれ以上ある着物の場合、おはしょりの位置がずいぶん下になる。
身丈がぎりぎりの着物で腰紐を腰に締めると分量はちょうどいいけれど、フリルがたくさん寄るし、腰紐が出てくる。
夢二の絵のように腰紐を出していた時代、おはしょりはふわふわしていてもよかったのかもしれない。
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見せるための襟が付いた赤い肌襦袢を着ていたということでしょうか。
もしもこのまま上に着物を着るのだとしたら、これだけくったり垂れた襟でどうやって襟を処理していたのか気になります。
もう仕事は終わって取り敢えずで巻いているだけなのかもしれないけれど。
ところで、もしそうだとするとこのぐるぐる巻きの正体は伊達締めなのでしょうか。
これが伊達締めだとしたら、タオルの代わりに伊達締めをぐるぐる巻きにして補正していた、ということで合点が行きます。
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浮世絵師って男の人ばかりだから、女性の着物や下着の実用面は興味がなかったのかもしれないな。
今みたいに煌々と明かりが点いている時代じゃないし、女性も気づかせないようにするっといろいろ脱いでいたのかも。
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宇野千代の謎
惚れた男と引越しをするのが所帯染みていてうれしくてたまらず、「帯にしゃもじや小鍋や何かを挟んで行った」。
四次元ポケット帯だ。何度か試してみたけど真似できない。
/くたびれ はてこ