子どもをいつ持つか、何人欲しいかなんて当人達が決めることの最大の事柄だと思う。その時の経済状況やら住宅状況やら周りの要件も多いのに。
そして工場のように2人女の子が続いたから次は男の子で、とか来年5月が一番都合がいいから5月に産まれるように、とかコントロールして生産できるものでもない。
当人達が主役で主導権があるはずなのに周りから決めつけられると腹が立つ。
昔々若気の至りでうっかり結婚してしまった先の親や親戚一同からやいやい言われた時は殺意に近い感情が湧くほど腹が立つやら悲しいやらだったことを思い出した。
道具としか見られてない気がして気分が悪かった。
生きていれば色々なことがある。
毒吐く昼。
youtubeにまた新しくニュースが流れてきた。
ANNニュースチャンネルだ。
建国250年を記念して250本の桜を贈ったり、大統領夫妻へのお土産に孫さんにまで孫さんの好きな任天堂キャラクターのグッズセットをプレゼントしたり。桜はさておき個人的なプレゼントのお金は何処から出ているのだろうと思った。
個人的な購入であれば公開はされないだろうからやっぱり公費からなのだろう。
別のニュースでは白菜が一玉650円で高い時には2000円にまで高騰し、お年寄りは暮らしていけないと嘆いているのを報じていた。
晩餐会で蝶ネクタイ締めて下手な(英語の)冗談言ってる場合ではないのでは?と思う。
やりきれない嫌な気分になっている。
毒吐く朝。
米訪問のニュースがyoutubeに上がってくるので見ている。昔から思っていたが、私の個人的偏った見方なのかもしれないが、日本の首相は特に昨今非常に承認欲求の塊になっていないだろうか。米国コンプレックスというか大統領と接する時「大統領と一緒にいる僕ってスゴイ」感がある。
米国って別に特別偉い国とも思わないし国内は日本以上に問題は山積してるように思う。「大統領と英語で話しちゃってる僕」「夫人とハグしあえる良く出来た僕の奥さん」って思ってそうに見える私が捻くれているのか。
戦争に負けたからコンプレックスがあるのだったらもう昔のことじゃないかと言いたい。
「反戦」の気持ちは持ち続けるべきだと思うのにそれはすっかり忘れて変なコンプレックスだけでへーへーしてるのはおかしい。
世界中が順風満帆で皆満足感を持って不安なく生きている世の中ではないってわかっているのだろうか。